ここんとこ、100記事アップ記念などと言って、医薬品やサプリ成分そのものを深掘りするのではなくて、その周辺のことなどをあれこれ書いているが、何故か評判が良い。サプリ成分を深掘りするよりも5倍は早く記事が書き終わる(^^ゞ
今回は小林一茶。一茶の異様なまでの執着した晩年の性生活から何か学べるのだろうか?

小林一茶から性の極意について学ぶものはあるのか?

小林一茶といえば

雪とけて村いっぱいの子どもかな
めでたさも中位(ちゆうくらゐ)なりおらが春

とか。
やせ蛙(がへる)まけるな一茶これにあり
雀の子そこのけそこのけお馬が通る

などで有名な江戸時代の俳人。

高校の教科書に載ってたから、有名な句はいくつか覚えている。
ほのぼのとした句を読む、俗から離れた優しいおじさんというイメージがあった。
長野の山が似合いそうな、朴訥として超然とした、しかもおかしみのある人。

タミイ静止画1

私も小林一茶好きよ

がっちゃん静止画1

でも小林一茶ってとんだエロジジイだってことは知らないでしょ

タミイ静止画1

え、そうなの?信じられない。もしそうなら、それはガッチャンみたいだってこと?

 

 

私は大学生のときに藤沢周平の「小林一茶」を読んで。
とんでもない人だったんだ!とわかって驚いたことを今に思い出す。

こういうことはよくある話ではある。
とんでもないクズが偉人と呼ばれたりしていることも多い。

藤沢周平の「一茶」は「業界記者」として、下積みを続けた藤沢周平の過去の自分を小林一茶の境遇を重ね。
非常に好意的に小説にまとめているため、一茶に温かい目を向けている。
奉公に出てから俳人としての名前が出るまでは一切不明なので、ここらあたりは藤沢周平は想像でとても好意的に補っている。

しかし彼の生涯はかなり知られていて、俳人になってから後の人生については想像で補える部分が少ない。
実際の小林一茶はまさに煩悩の塊。
俳人になってから後の一茶のやり口は薄汚いの一言。

江戸で俳人として生き残るためにひどいことをしまくり。
俳諧師として多少名が売れてきたりしても。
住む家もなく、食べ物を口に入れることができない日もあるという、まさにその日暮らし。
そして俳人でもあった豪商夏目成美に取り入ってなんとか命をつなぐ。が、そのへつらいがまた醜い。

さらに師匠の二六庵竹阿が亡くなると勝手に二代目を名乗り、二六庵竹阿の弟子のところに行って一宿一飯を無理強いし、金をたかる生活。
当然周りからひんしゅくを買うが、生きるためには手段を選ばず。
ほとんど乞食同然の生活をし続けたのである。

こうなると何をしていたかわからない10年間にも、悪いことをいっぱいやってきたんじゃないかっていう推測が働いてしまう。

宝暦13年(1763年)、信濃北部の北国街道柏原宿(現長野県上水内郡信濃町大字柏原)の中農の長男として生を受ける。3歳の時に生母を失い、8歳で継母を迎える。継母に馴染めず、安永6年(1777年)、14歳で江戸へ奉公に出る。
25歳のとき小林竹阿(二六庵竹阿)に師事して俳諧を学ぶ
寛政3年(1791年)、29歳で故郷に帰り、翌年より36歳の年まで俳諧の修行のため近畿・四国・九州を歴遊する。(ウィキ)

その後たまたま帰省した折の父が病気になり、看病の甲斐もなく父親が病死。
この後えげつない遺産相続争いが勃発する。その顛末を書いた「父の終焉日記」は実に面白い。私小説のはしりだという評価があるが、納得である。

一茶にしてみればこのまま江戸で俳諧師などやっていても野垂れ死にするばかりである。
なんとしても財産がほしい。
しかし義母にしてみたら、自分と息子が汗水たらして働いて築き上げた財産を、今まで家にも帰らずにフラフラしていた一茶に分与するのは耐え難いことだったらしい。
血しぶきが散るかのような争いがこうして幕を開け。その争いは12年に及ぶ。
しかし江戸でふてぶてしく生き抜いてきた一茶は、しつこく食らいつき、ついに遺産の半分を手に入れる。

享和元年(1801年)、39歳のとき再び帰省。病気の父を看病したが1ヶ月ほど後に死去。以後、遺産相続の件で継母と12年間争う。父の発病から死、初七日を迎えるまでの約1ヶ月を描いた『父の終焉日記』は、私小説の先駆けと言われる。
文化5年(1808年)末には、遺産の半分を貰うことに成功している。取り分は田4~6反、畑3反歩、山林3ヵ所、他に家屋敷半分、世帯道具一式。この財産規模は柏原では中の上ぐらいの持ち高だという。一茶は、実際に文化5年以降は柏原村の本百姓として登録され、翌年からは弥太郎名義で年貢も納めている。(ウィキ)

財産分与を受けた一茶はいよいよ故郷に帰り、その後52歳にしてはじめて妻帯をする。奥さんは28歳であるから、24歳年下である

引用元
By Yoshi Canopus – 投稿者自身による作品 (My own photo), CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7681094

50を過ぎてからセックスに目覚めた一茶

江戸時代の平均寿命は50歳ぐらいだと言う。
もちろん当時は乳児死亡率が高かったわけなので、生き残った人たちは長生きをした人もいたと思うが。
一茶が結婚した52歳という歳は江戸時代ならば、今と違ってもう外見も爺である。

そんな一茶が、なんと24歳年下の嫁と毎日最低でも3回はセックスをしていたと言うんだから驚きである。
日記には妊娠中もやりまくったことが書かれていて。ただただ驚くばかりなんだが。
それだけではない。

一茶は結婚して6年後に脳卒中にあたって半身不随になっていた
しかし、一茶は半身不随になっても毎日セックスをしていたというんである。
その執念たるや鬼気迫るものがある。

そして嫁のきくもやり過ぎが原因で痛風になったという。
セックスし過ぎで痛風になるなど聞いたことが無いが、どのような因果関係があるんだろうか?

いずれやり過ぎが原因で、嫁のきくは結婚して9年後。37歳で亡くなってしまう

一茶は脳溢血を患って半身不随であるのにそれでも毎日、痛風になって息絶え絶えとなった妻とやり続けたのであった。

タミイ静止画1

まるで地獄絵図ね

引用元
By Strange Arrow – http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?processId=00&ref=2&Q1=&Q2=&Q3=&Q4=11______4171_&Q5=&F1=&F2=&pageId=E15&colid=A10942, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2808046

きくが亡くなったとき、一茶は61歳。もうかなりの爺である。

しかし翌年には再婚。でも色情魔の一茶に身の危険を感じたのか、後妻は逃げ出したので半年で離婚。(たぶん)
離婚後63歳になった一茶は、言語障害をおこし、言葉が喋れなくなった

こうなるともはや廃人である。俳人一茶は廃人になったのである。

タミイ静止画1

さむいーーーーーオヤジギャク?

ふつう脳溢血で半身不随、かつ言語障害を起こしてまともに喋ることもできないとなれば。
もう寝たきりである。

しかし、そんなことで性欲が衰える一茶ではない!

まだまだヤリ足りない、とばかりに再再婚。
そして、脳溢血で半身不随、かつ言語障害と。既に棺桶に片足を突っ込んだ状態であるにも関わらず。
またまたセックス三昧の日々を送りはじめるのである。

ここまで来るとわたしとしては呆れ果てる以上に感嘆せざるを得ない。

そして・・・・・・・・それまで生まれた子供はことごとく早世してしまっていたが。
一茶が64歳で三番目の嫁に仕込んだ種は、一茶が64歳で亡くなったあとに女の子としてこの世に生を受けた。名前はやた。
一茶は重度障害者の身でありながら、それでも妻を相手に毎日やリつづけて、ついに自分の子を世に送り出したのであった。

そして、このやたが一茶の血を後世に伝えるのである。

一茶の充実した人生

一茶が書き残した様々な記録は彼の死後次々に出版されるが。
出版を前提にして書かれたものではないために一茶のプライバシーが全て公開されるような形になってしまった。
そのため、一日3回以上セックスをしたとか、脳卒中で半身不随になってもセックスをし続けたとか。
そんな彼の偏執的なセックスライフまでが「本人の告白」として世に出てしまったのである。
彼のセックスマシンと化した晩年のことがよく分かるのは、彼自身がそのことを詳細に書き残しておいてくれたからなんである。

著名な『一茶発句集』『おらが春』は没後に刊行されたもので、「寛政三年紀行」「父の終焉日記」「我春集」「株番」「志多良」もいずれも遺稿である。また、「寛政句帖」「享和句帖」「文化句帖」「七番日記」「八番日記」「文政句帳」など克明な記録は、いずれも出版を意図して書かれたものではなく、一茶のプライバシーまでも公にしてしまっている。(ウィキ)

貴族などが書く、いわゆる日記は読まれることを想定して書かれるのが普通である。
だから「土佐日記」とか、「言継卿記」とか。面白いし、歴史的な史実を知る上でも一級の資料となるんだろうが、ひと目に触れることを意識している以上毎日奥さんと3回セックスをやり続けました、などと自分の恥を晒すということはない。
ところが一茶はこの自分の恥の部分を盛大に書きまくっているところが爽快だ。
ユーモアがあって、ある意味辟易もするが、後味は悪くない。

そしてまた、「脳溢血で体の半身が動かなくなっても、ちんぽは勃ったから引き続き毎日やり続けました」(意訳)と自らの変態的行為を克明に書き記した彼の日記は、近代文学の先駆けと言える私小説分野の先駆とみなされるようにさえなったのであった。

だからこそ、小林一茶は明治時代までは、ただの田舎の俳人という評価しかなかったところを現在では巨匠という評価が定まっているのである。
個人的な意見であるが、小林一茶の「私小説」は明治期に全盛を極めた私小説よりもずっと明るく、はつらつとしている。
今徳富蘆花の「不如帰」を読みたいという人がどれほどいるんだろうか?
でも小林一茶であれば。今後も長く読み継がれる可能性があると私には思える。

出版を意図していなかった変態日記分野での小林一茶のライバルは世界を見渡しても、ピープス氏の秘められた日記――17世紀イギリス紳士の生活 (岩波新書 黄版 206) ぐらいしか見当たらないのではないか?これをネタにした記事はまたあとで書いてみたいがその面白さは半端ではない。

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【中古】ピ-プス氏の秘められた日記 17世紀イギリス紳士の生活 /岩波書店/臼田昭 (新書)

 

 

ピープスは17世紀イギリスの官僚で、のちに海軍大臣となった人物。彼の人柄や性生活も含めた赤裸々な日常生活だけでなく、宮廷や上流社会の頽廃など当時の世相を生まなましく伝えるこのピープスの『日記』は、世界の奇書の一つに数えられている。本書は、その精髄を魅力ある語り口で紹介し、男性観察のまたとない機会を提供する。

レビューを一つ引用

これは面白いです。イギリスの海軍大臣にまで上り詰めた17世紀の英国市民が残した日記を解き明かした結果を紹介した本。

これが、普通の日記じゃない。妻の目をはばかって、フランス語・ラテン語・イタリア語・ギリシャ語・ドイツ語を混在させた上に関係の無い語をまぜたりして秘匿性を高めて書かれている。その分、日常が赤裸々に吐き出されている。すべての解読が完了したものが世に出たのは20世紀後半だという。

浮気。賄賂。妻とのけんか。金の心配。悪口。自画自賛。時には、国家も憂う。教会でお説教を聴きながらいい女を見つけて空想にふける。好きな芝居の話もいろいろ。好奇心が強く、金のことにはきちんとしている。そして、決定的な危機。出世。

ロンドンの大火や、オランダとの戦いといった歴史的な事件も出てくる。とても生々しい。まさに、秘められた日記です。

小林一茶関連では、もう中古でしか売っていないようだが、以下はとってもお勧め。
句集以外で今手軽に読めるものではこれ以上のものはない。

父の終焉日記・おらが春 他一篇 (岩波文庫) (文庫)

 

 

たまたま帰省中の一茶(1763‐1827)は、父を急病で失い初七日を迎えることとなった。その三十余日間を、日記形式で綴った『父の終焉日記』。日々衰弱してゆく父の姿と遺産問題を端に発した継母・義弟との確執がなまなましく描かれている。他に、56歳でもうけた娘さとの誕生と死を主題にまとめた『おらが春』と、『我春集』を収める。

解説本を読むのであれば原文でもわかりやすい本書がお勧めであるが、それが苦手であれば、藤沢周平の小説は丹念に資料にあたっていると思われるので、そちらが面白いと思う。井上ひさしの「小林一茶」は戯曲なんで、一茶の生涯を知るには不適。それにしてもこれももはや中古本しか無いのね。
私は「用心棒日月抄」のような大ベストセラーも好きだけど。

白き瓶 小説長塚節 /文藝春秋/藤沢周平 / 藤沢周平 / 文春文庫【中古】afb

 

などと並んで、こっちのほうがより好みである。

【中古】一茶 新装版/文藝春秋/藤沢周平 (文庫)

【中古】一茶 新装版/文藝春秋/藤沢周平 (文庫)

 

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素晴らしいレビューが載っていたので紹介をば。

小林一茶は、江戸で俳諧師として一家をなす夢を諦め父の遺言状を証拠として田地、畑、山林と家屋を半分けで、今は義母と弟夫婦の住む実家の家を半分に仕切り永住することになる。
 亡くなった父親の遺言状を証拠として、血を血で争う一茶の姿は決して恰好の良いものではないが、一茶を取り巻く親戚や義母そして弟夫婦などの心理描写は読者をひきつける。
 まだ兄弟で争うなか借家住まいであったが、話し合いが一段落して帰る道で詠んだ句が、“これがまあ終(つひ)の栖(すみか)か雪五尺”である。
 この句を批評してほしいと他の句も添えて江戸で世話になった夏目成美あてに手紙を出している。
 夏目成美は、江戸で高名な俳諧師であるが、大店の旦那であり俳句は趣味としてしか考えないような人である。
 成美からの返事には歌舞伎評もどきで、一茶に対して「ほめ殺し」のようにもとれる批評が書かれていた。
 個性ある俳句であるが田舎くさく洗練された句ではない、といいたげな成美からの手紙を読み、一茶は自分の信じる道へ邁進してゆく。
 一茶が書き残した資料は多く、著者はこのくだりは確かなものからの引用だろうと思いながら読み進んだのである。
 一茶が偶然帰郷した時に父親が病に臥せ看病した時の記録を、『父の終焉日記』として残したたことは広く知られているが、著者がこの資料をもとに父が亡くなるまでを描写しているくだりは真にせまっている。(この『父の終焉日記』は私小説の嚆矢ともいわれている)
 評者は、俳句に知識が全くない朴念仁だが、本書中幾多の俳諧師がでてくるが、その誰一人として知らないし、彼らがどのような句を残したかも知るはずもない。(芭蕉などを例に引いていることは例外として)
 が、評者が一茶の句を、十指で数えられないほど諳んじていることが、いかに一茶が豊かな才能のある俳人であったかを証明している。
 注文している本が届かないから、30年以上も前に読んだ本書を、本棚の片隅から手にとり再読することにした。(ほとんど記憶してはいなかったから初めて読むような気がして読み進んだのである)
 一茶は、多く書き残した資料を残しているが、著者が時間と労力を惜しまず、そのような資料を参考にして本書を書き上げたのは間違いないだろう。
 一茶が信濃路を歩きながら景色を描写するくだりなどは、季節季節に著者も信濃路へ足を運び、著者ならではの筆致で描いているのが心に沁みる。
 評者も黒姫山あたりの風景を知っているだけに眼前に現れるような風景描写として読ませてくれた。
 本書を、何十年ぶりに再読してみて、藤沢周平の描く『一茶』は、氏の多くの作品のなかでも目立たない傑作の一編であると思いながら読み終えました。

いずれ、一茶のセックスライフは晩年に花開き。
それまでの50年間溜まりに溜まっていた精子を12年の間に全て吐き出して死んでいった。

確かに強欲で因業で、色狂いの人生を通した一茶だが、それらをすべてひっくるめて、私は、いい人生だったんだな、と好意的に思える。

個人的にはお付き合いしたくない人ではあるが。
わたしも、一茶と最初の奥さんほど歳の離れた恋人がいるんで。
一茶に負けないように頑張ろうと思う。

毎日3回は流石にもうできないが、せっかくこのサイトを立ち上げた以上それが実現するだけの武器を求めて更に精力剤の探求をしていきたい。

一茶のために江戸時代にあればよかったサプリ

一茶は50になるぐらいまではまともな食事も取れないような生活を送ったわけだが。
それもあって脳溢血になってしまった。
そして最初の奥さんは痛風で亡くなった。

痛風についてはわたしもなったことがあるけど。痛いのなんの。
そしてひどくなると腎臓が破壊されて死に至る。

このサイトを立ち上げて、痛風についても調べた記事がこちら。

痛風の原因となる尿酸についてもっと知ろう!本当は体に良いものだった?進化の過程で選ばれた尿酸の驚くべき効能とは!!

痛風に効果!ザイロリックとフェブリク(フェブタズ)はどっちが効果があるのか?おすすめジェネリックも紹介

今は副作用のない、非常に強力な尿酸抑制の薬が開発されている。
そのことがわかったのがこのサイトを立ち上げてからであって、それだけでもわたしは恩恵をこうむっている。
今はフェブスタを服用していて、調子が良い。

もし一茶の奥さんがフェブスタを飲んでいたら、きっと長生きをしただろうと思う。
そして子供もたくさんできたはずだ。

名月をとってくれろと泣く子かな

今まで見た中で最安なのはオオサカ堂。

 

2箱5,477円

フェブタズ(Febutaz)80mg
通常、成人にはフェブキソスタットとして1日10mg(0.13錠)より開始し、1日1回経口投与してください。その後は血中尿酸値を確認しながら必要に応じて徐々に増量してください。維持量は通常1日1回40mg(0.5錠)で、患者の状態に応じて適宜増減しますが、最大投与量は1日1回60mg(0.75錠)とします。

一日のコスパ 5477÷200=27円強 一日半錠で済むから5000円ほどで200日もつんである。

 

フェブタズ(Febutaz)は、先発品フェブリクのジェネリック医薬品です。主成分フェブキソスタットの働きにより、尿酸の生成を抑制する薬剤です。痛風、高尿酸血症の治療に使用されています。

フェブタズの主成分フェブキソスタットは、尿酸の生成に必要な酵素であるキサンチンオキシダーゼ(XO)を阻害し、尿酸の合成を抑えることにより尿酸値を低下させる薬剤です。
フェブタズは、主成分をフェブキソスタットとした尿酸生成抑制薬です。フェブリクのジェネリックとなっており、痛風、高尿酸血症の治療に効果を発揮します。

そしてもし一茶が血圧を下げる薬を飲んでいたら脳卒中も防げたかもしれない。

前立腺肥大を抑える薬の中には高血圧を抑える効果が同時に含まれていたり。
更にはハゲが治る毛生え薬にも使える成分が発見されたりしていた。

これらはある意味偶然に発見されたのであるが。

私は単にノコギリヤシが前立腺肥大に本当に効果があるかどうかを調べただけなのに。
驚くべき事実が続々と出てきて。
私がサプリ成分を調べていた中でも最大級の驚きの連続だった。

しかも、毛が生えてくる成分も、高血圧を抑える成分も、ともに医薬品として認可されている
特に毛生え薬については私は遺伝的なものは治し様がないと思っていたので、遺伝であっても、確実に毛が生えてくる薬が発明されていたことに、文字通り驚愕した。
詳しくは以下の記事を読んでいただきたい。

前立腺肥大に効果的な交感神経α1遮断薬の作用機序を調べてみたら・・・高血圧と頻尿対策は同じ?

前立腺肥大とハゲと高血圧と勃起の関係は悩ましい!絡み合って展開するハゲ(男性型脱毛症(AGA))へのハゲまし!

ハゲと頻尿と高血圧と勃起!この深いかかわりがびっくりするほど面白い!薬選びは楽しいね

一茶がハゲていたかどうかはわからないが、前立腺肥大であった可能性は十分にある。
ハゲの薬は精力を抑えるので、もし今の時代に一茶が生きていたとしても、一茶にはおすすめできない。

精力を弱めないで、前立腺肥大を抑え、同時に高血圧も抑制したいというのであれば、以下の薬が一押しである。
一茶の時代は販売されていなかったし、日本では今も買えないが、私達はそれを個人輸入することができる。
なんだかんだ言ってやはり薬やサプリは私達にとって強力な武器と成り得るものだ。
一茶がもしこの薬を飲んでいたとしたら、もっと長生きでき、好きなだけセックスに励めたかもしれないと思うと、現代の医療技術の進歩と、薬やサプリの充実に感謝せざるを得ない。後は変なのを掴まない知識を得ればいいだけだ。

ということでお勧めはこれ。

前立腺肥大と高血圧に効果があるもの。

テラゾシン(ハイトラシン そのジェネリック テラナー)

ハイトラシンは、持続性α1遮断薬で有効成分はテラゾシン。テラゾシンを含む先発薬。
血管平滑筋にある血管を収縮させるホルモン(カテコールアミン)と結びつくα1受容体全体に作用するため、前立腺肥大症に特化した薬とはいえないが、血管を拡げて血圧を下げ、尿道が圧迫されるのを防ぎ、尿道を取り巻く筋肉(尿道平滑筋)および前立腺の緊張をゆるめて、尿を出しやすくする。

つまり。

本態性高血圧症、腎性高血圧症、褐色細胞腫による高血圧症にも効果があるし、前立腺肥大症に伴う排尿障害にも効果があるというものだ。
ただ血管と尿道のどちらにも作用するというのはメリットでもあるが低血圧の人には向かない。

血圧も高いし、前立腺肥大症にもなっている人にお勧めの薬だ。
効果が長続きしないので一日2回服用。
 

 

追記
今まで貼り付けていた商品が発売中止になったんで。
別のテラゾシンを貼り付けておきました

画像をクリックすると商品ページに飛びます。

Terazosineは、持続型α1ブロッカー排尿障害改善剤・降圧剤です。有効成分のテラゾシンを含有しています。

Terazosineは、血管を拡げて血圧を下げたり、尿を出しやすくしたりする薬です。

Terazosineに含有されている有効成分のテラゾシンは、血管平滑筋にある血管を収縮させるホルモン(カテコールアミン)が特定部位(α受容体)に結びつくのを遮断することで、血管を拡げて血圧を下げます。また、尿道を狭くする物質(アドレナリン)の受容体(α1受容体)に結合して、尿道が圧迫されるのを防ぎ、尿道をとりまく筋肉(尿道平滑筋)および前立腺の緊張をゆるめます。

◆効果

本態性高血圧症、腎性高血圧症、褐色細胞腫による高血圧症
前立腺肥大症に伴う排尿障害

※効果には個人差がありますことを予めご了承ください。

◆用法

本態性高血圧症、腎性高血圧症、褐色細胞腫による高血圧症
テラゾシンとして通常、成人1日0.5mg(0.25錠)(1回0.25mg1日2回)より投与を始め、効果が不十分な場合は1日1~4mg(0.5~2錠)に漸増し、1日2回に分割経口投与する。
なお、年齢、症状により適宜増減するが、1日最高投与量は8mg(4錠)までとする。

前立腺肥大症に伴う排尿障害
テラゾシンとして通常、成人1日1mg(0.5錠)(1回0.5mg1日2回)より投与を始め、1日2mg(1錠)に漸増し、1日2回に分割経口投与する。

1箱   2,422円
2箱   4,084円

2箱買うとして。112錠
一日のコスパ 4,084円÷112=36円強

一茶はバイアグラは必要がなかった。羨ましい限りである。
前記事で書いた蓮如もEDには無縁な人であったが、当時でもおそらくはそんな人は珍しかっただろう。

83歳で子供を作った蓮如に学ぶ  まやかしサプリを見抜いて賢くリア充セックスライフを送る方法100記事アップ記念3

今は困ったことをいくらかでも解決してくれる薬がある。
これはやはり素晴らしいことである。

歴史的な性の偉人たちについては、もしこの人たちに今ある薬やサプリを飲ませていただどうなっていただろう、というテーマでたまには記事を書いていきたいものだ。

今回はここまで。