フィリピンの歴史について書かれた記事はあんまりないと思うので。
今回から何回かに分けて簡単にまとめてみたい。
まずはIS。
ISといえばイラクやシリアで活動していたわけだが、アジアではなんとフィリピンに上陸して、マラウィを制圧し、拠点化しようとした。
現地のISが崩壊したから、フィリピンの拠点を移そうとしたなどという情報もあったが。
それにしてもなぜフィリピンに?
実際のところはどうだったんだろうか?

イスラム国の残虐な恐怖支配は人々の怒りを呼んでおり。
イスラム国が追い詰められるの従って最近はイスラム国がやったのと同じやり方でISに所属していた人たちが仕返し(処刑)されている動画が次々にネット上に流されている。
恨み骨髄ってやつだ。

やばい映像ばっかりなのでもし興味がある方は直接サイトに飛んでご覧いただきたい。

このようにしてISは完全崩壊したわけなんだが。
とはいえ、ISのメンバーは各地に散らばっただけで、幹部などは多数生存して、再起を狙っているという。
そもそもISはアメリカが育成したという話もあって。
話は複雑で、日本のメディアしか見ていなければなにがなんだかわからないと思う。
日本のメディアは信じがたいほど劣化している。

今回はなぜフィリピンにISが上陸したのか、その背景を見ていきながらフィリピンの歴史の一端に触れてみたい。

マリちゃん静止画1

ISが鎮圧されて本当に良かったわ。

とは言えマニラではISに対する危機感は殆どなかった。
完全に他人事。
ある意味フィリピンらしくて笑えた。

今回書こうとおもっているのはISのことではなくて、ISが拠点化しようとおもった理由を通してフィリピンの歴史について見ていこうというもの。

フィリピンでのISの戦いそのものについては以下の動画なんか詳しいので参照していただきたい。
ただし英語。
でも映像だけでもかなり分かると思うんで。お勧めである。

 

フィリピンは昔は豊かな国だった?

フィリピンは現在ようやく国の力が充実し始めているが。
元々潜在能力が高い国だった。
第二次大戦直後のフィリピンが日本よりも豊かだったことを知る人は少ない。
アジアの強国になるとさえ思われていたんである。

タミイ静止画1

えーほんと?嘘でしょ

それがぶち壊しになったのは当時国を支配していたフィリピンの富裕層が国内にある矛盾を放置し、自分たちだけが肥え太るような政策を取り続けたからだ。
そもそもその富裕層というのはスペインやアメリカの植民地となったときに支配者側について同胞を弾圧する側にまわった人たち。
植民地支配者たちが行った離間政策に乗って国を裏切った売国奴である。
さらには各島々で言葉が違っている人達が集まって国を作っているので。
元々決してまとまりのある国とはいえなかった。

その為国内の抗争がひどく、その消耗戦の中でアジア最貧国の一つに落ちていく。
それでも国としての統一を保てたのは命をかけて国のために戦った人たちがいたからだ。
しかしその独立運動も悲惨の一語に尽きる。
様々な運動が分裂し、潰されていく。
それだけに独立の英雄ホセ・リサールの素晴らしさが際立って見える。

(上記著作などを参照した。)

内容紹介

改革運動・独立運動が本格化した1872年から独立準備政府が成立した1935年までを中心に、フィリピン近代史を概観することによって、今日のフィリピンの原像を明らかにし、アメリカ主導の世界、日本とほかのアジア諸国・地域とのかかわりを考える。

そのことは別記事で書こうと思っているが。
その前にフィリピンになぜISが上陸したのか?ということについて書くことでフィリピンの歴史の一断面を切り取ってみたい。

マリちゃん静止画1

頑張って

ミンダナオ島はイスラム教徒が支配していた

フィリピン人はそのほとんどがキリスト教徒ではあるが、ミンダナオ島にはイスラム教徒が多数いる。
歴史的に見ると、ミンダナオ島はずっとイスラム教徒の支配下にあったのである。

キリスト教史観でしか語られないフィリピン

フィリピンの歴史は一般的にはマゼランから始まる。と言われている。
1521年、マゼランがセブに上陸をしてキリスト教の楔が打たれた。
そしてその後1565年にミゲル・ロペス・デ・レガスピがセブ島を征服する。
キリスト教の本格的な布教が始まるのである。
キリスト教はフィリピン全土に広がり、未開の国フィリピンにも文明が伝えられたんだと。

だがそれはあくまでもキリスト教の側から見た歴史である。
セブのマゼランクロスに行って、白々しい気持ちになるのは私がキリスト教徒でないからかもしれないが。
嘘くさくて全く感情移入できない。

マゼランの十字架 (Magellan’s Cross) とはポルトガル・スペインの探検家であるマゼランが1521年3月15日にフィリピンのセブ島に到着した時に打ち込んだ十字架である。

この十字架はセブ市の中心のマゼラン通りに面したサント・ニーニョ教会の隣のチャペルの中にある。本物の十字架はチャペルの中心で見つけられ、現在木造の十字架の中に入れられていると十字架の下の看板には記載されている。本物の十字架には奇跡の力があると信じられているため、観光客がお土産としてこの十字架を切り取る事を防ぐように保護されている。しかしマゼランの死後、本物の十字架は破壊されたか紛失し、フィリピンにキリスト教の教えが広まる事に成功した後、十字架はスペイン人によって打ち込まれたレプリカである(ウィキ)

今ある十字架は偽物だし。

引用元
https://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g298460-d320852-i257458552-Magellan_s_Cross-Cebu_City_Cebu_Island_Visayas.html

別記事で書こうと思うが。マゼランを殺したラプラプ酋長がフィリピンの大英雄となっているところにフィリピン人の屈折した心理が伺われる。
以下の画像はラプラプ酋長の像の前でまりちゃんと私のツーショット(^^ゞ顔が見えないから載せても大丈夫

 

キリスト教の闇

フィリピンの教会は暗い。
私はスペインが支配の道具としてキリスト教を植え付けたと言う話を聞いたことがある。
武力だけでは支配できないので、キリスト教の布教で洗脳して屈服させようというわけでる。

マゼラン・クロスの隣にある由緒あるセント・ニーニョ教会やマニラのサン・アウガスチン教会などに何回か行ったけど。
自由な精神を閉じ込める、「魂の牢獄」として機能する、その意図が露骨に透けて見えるような気がしてならなかった。
そこには日本人が思っているキリスト教と全く違う負の側面が見られるのである。

まるで、刑務所のようだった・・・・・・特にサン・アウガスチン教会は。

ミンダナオ島のイスラム教徒の持つ、キリスト教に対する敵意は、そういったキリスト教の本質を見通していることから来ているんじゃないかと。

何しろ悪魔は天使の顔をしてやってくる。
日本教信者で、八百万の神様を無意識に受け入れている私にとっては一神教たるイスラム教も似たようなものだけど。
フィリピンではイスラム教はゆっくりと広まっていったのに対し、キリスト教は信仰の強制が行われ、信仰かしからずんば死か、と言う脅迫が行われた点が違うという話を聴いて。
そうかもしれないな、と思ったリもした。同じ一神教でも強制の度合いが少なかったんだろうか?

そんなこともあって、ミンダナオ島は長らくスペインに支配下に入っていなかった。
だからキリスト教の影響は薄い。
ミンダナオ島のキリスト教信者の多くはスペインが征服してからあとに入植した人たちだ。
土着のイスラム教徒は今でもキリスト教を拒否している。

スペインとミンダナオ島イスラム教徒の戦い

スペインは早くからミンダナオ島にも触手を伸ばし、ついにはミンダナオ島の一部がスペイン占領される事になったりもしたが。
しかしミンダナオ島はスペインに対抗してずっと独立を保ち、逆にスペインを追い出すなどしてイスラム教の支配が続く。

というのはミンダナオ島はマゼランがやってくる前、16世紀に発したマギンダナオ王国が支配していたからだ。
特に17世紀、スルタンのクダラットの治世にはミンダナオ島全土と周辺の島々も征服するなどしていたのでスペインは手が出せなかった。

このクダラットもまた、ラプラプ酋長と並ぶ英雄の一人としてフィリピン人の尊敬を集めている
現在もスルタン・クダラット州という州名としてその名が残っている。

キリスト教を押し付けようとしたスペインと戦って勝ち続けた人が英雄になるというのが興味をそそる。

スペインがミンダナオの支配に着手出来たのはマギンダナオ王国がスペイン領東インドによって滅亡させられた後、19世紀も半ばになってからである。
その後はスペインからアメリカそして日本と支配者が変わっている。

ちなみにスペイン領東インドとは。

スペイン領東インド(スペインりょうひがしインド)は、スペインが1565年から1898年まで領有したアジア太平洋の植民地。政庁所在地はマニラで、領域はフィリピン、マリアナ諸島およびカロリン諸島、一時的に台湾、サバおよびモルッカ諸島の一部を領有した。

つまりミンダナオ島はずっと別の国だったんである。

話は少しそれるが。
ミンダナオ島には日本領になってから日本人の移民が多数入植し、マニア麻を栽培し、日本に輸入したりした。

第二次世界大戦前の日本人も、フィリピンのミンダナオ島ダバオ市に渡り、麻栽培従事者が2万人に及んだ。その後設立された日本人墓地があった慰霊碑の前で、2013年にロドリゴ・ドゥテルテ大統領が、地域経済の発展に寄与したと評価する挨拶をしている。(ウィキ)

日本人は尊敬されていたらしい。

ダバオに行くと、日本の匂いがする。
何故か懐かしい感じがする。

マニラ麻
引用元
CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=157162

第二次世界大戦の敗戦で日本人は追放されてしまったが。
日本人の影響が未だに残っている。

タミイ静止画1

そうなんだ、ミンダナオは行ったこと無いから行ってみたいな


がっちゃん静止画1

この記事の本筋じゃないから書かないけど、ミンダナオ島はフィリピンの食料庫と言われていて農産物の殆どがここで作られているんだよ

ミンダナオについての詳しい記事はまたいつか書いてみたい。

イスラム勢力が未だ力を持つミンダナオ島

さて、イスラム教徒に戻る。
上記述べた理由もあって、スペインの侵略が遅れたミンダナオ島西部では現在でもイスラム教の影響が強い。

スペインがマギンダナオ王国を滅ぼした後。
フィリピンのキリスト教徒たちの入植が始まり、キリスト教徒たちの支配が強まって行く。
主権を奪われたムスリム勢力は独立の戦いを始め、それを鎮圧するため、スペインに代わってアメリカが植民地にした後もずっと掃討作戦が続いている。

イスラム教徒たちははずっと虐げられてきたため、今でも独立開放を願ってフィリピン政府に戦いを挑んでいる。
それを支援する勢力は深く広く根付いていると思われる。

私がミンダナオに行ったとき、ダバオから車で3時間ほどいったところにある知人の家にいった。
そして、そこでその町の元市長に会った。
彼は今回の選挙でイスラム教徒の市長候補者に破れたと言っていた。
(その方はカトリック信者)

そのため経済的利権の殆どがイスラム教徒によって奪われたと憤慨していたが。
当時の私は全く知識がなかったので、そもそもカトリック教国であるフィリピンになぜイスラム教徒がいるんだろう?と思った。
しかもイスラム教徒が一つの市を支配していると言うんである。
訳がわからなかったので、適当に相槌を打ったが。

でも今となれば少しは理解ができる。
ミンダナオ島はイスラム教徒のものだったのに、それがキリスト教徒に奪われてしまったと彼らは思っているんである。 このような背景のもとでのIS の上陸である。

しかもマラウィ。

マラウィは全盛を誇ったイスラム教国マギンダナオ王国の首都だったところだ。
イスラム教徒にとって、栄光の場所である。
ISがそこを占領しようとしたのである。

引用元
By TheCoffee from en.wikipedia.org, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1840972

 

 

 

 

マラウィの戦いの詳細

領土回復の願いは強烈である。
そのエネルギーが形を取って伝統的なムスリム勢力とISが手を結んだのが今回のマラウィ市占拠じゃないんだろうか。
ISとしても成算を持って臨んだに違いない。

しかし、残虐非道なことをやりまくっていたIS 。
フィリピンでうけ入れられるとは。
私は非常に驚いたものだ。
全盛期のISの処刑動画。

残虐な動画なので閲覧注意。

でもイスラム教徒の勢力がここまで強く、かつ反政府ゲリラの拠点であるミンダナオ島西部が実質的にイスラム教徒たちの支配地域ということになれば。
ISがフィリピンに目をつけたのも頷ける。

ウィキに非常に詳しい解説があったのでその一部を引用しておきたい。

21世紀に入り、中東やアフガニスタンでの紛争と結びついたイスラム教原理主義系のテロ組織の勃興により、ミンダナオ島やスールー諸島ではフィリピン国軍やアメリカ軍による共同軍事作戦、掃討作戦が行われている。特にミンダナオ島西部はアブ・サヤフやジェマ・イスラミアといった東南アジア全域で活動するとされる国際的テロ組織が拠点を置き、MILFなど伝統的な分離独立運動と連携しつつ、これら比較的主張が穏やかな民族主義的独立派の基盤を奪いかねないほど勢力が広がっているとされていたが、米比両軍による掃討によりほぼ壊滅・弱体化したと思われる。しかしMILFは根強い支持基盤を持つためまだ危険な地域も多く、渡航には注意が必要である。
2017年、ミンダナオ島でイスラム派過激組織ISILに呼応したアブ・サヤフの活動が活発化。同年5月25日、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、島全域に戒厳令を発令。マラウィ市内に攻撃ヘリコプターを展開し、武装組織に対してロケット弾などによる攻撃を加えている。

モロ人は民族的には、島の中部ラナオ湖周辺のマラナオ人、マレーシア・サバ州とまたがって住むタウスグ人などに分かれている。複数の部族に分かれた先住民、ルマド人(Lumad)も存在する。(ウィキ)

それと地図を見ていただくとわかるんだが。
フィリピンのイスラム勢力はマレーシアから島伝いに補給を受けている。
マレーシアは国全体がイスラム教国で、フィリピンのイスラム勢力を支援している勢力が存在している。
ISの背後にはこのようなバックアップ体制も存在していたのである。
鎮圧までに膨大な時間がかかったにはこのような事情もあった。

 

なので今回ISの侵入は阻止することが出来たが、イスラム教徒の反政府活動が終わるわけではない。
依然ミンダナオ島はフィリピンのアキレス腱となっているのである。

以下なども参考になるかもしれない。
私は宮崎正弘のこの無料メルマガをずっと読んでいるが下手な有料メルマガより内容が充実していてお勧めだ。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)9月9日(土曜日)
       通巻第5426号  
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 フィリピンのIS拠点「マラウィ」制圧はどうなっているのか
  ドゥテルテ大統領、三回現地入り。「戦闘は間もなく終わるだろう」
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 マラウィはフィリピン南部のミンダナオ諸島の西部に位置するイスラム教徒の街。5月23日に戒厳令が発動され、政府軍が投入されてイスラム過激派との戦闘を開始した。

武装集団の主体はISシンパのマウテ集団、ここに武装ゲリラ「アブサヤフ」の残党、そしてIS帰りの過激派に加え、マレーシアとインドネシアからISに影響を受けた武闘派が加わった。
かれらはマラウィ市を乗っ取った。その制圧と治安回復のためフィリピン政府の軍事作戦が本格的に展開された。

 死者800名、避難民がすでに36万人。このうち310名がISシンパの過激派イスラム教徒とされ、負傷者は無数。ただし過去の過激派「MILF」(モロ・イスラム解放戦線)とMNLF(モロ国家解放戦線)の二つの武装集団は政府との間に停戦協定を結んでおり、マラウィの戦闘には加わっていない。そればかりか、マウテ集団とは敵対関係にある。

 マラウィの街は空爆と激しい戦闘で破壊され、まるでカブールやベイルートのように瓦礫の山となった。ロレンザナ国防相は「復興に11億ドルを要する」とし、フィリピン政府は半分の六億ドルの「復興債」を起債し、資金を調達するとしている。

 こういう話が浮上するということは、まもなく戦闘は終了するという展望があるからだろう。現地入りしたドゥテルテ大統領は、現地の軍事作戦を視察し、8月24日の視察では自らも機関銃をもって前線に立った。

「遅くとも十月には作戦は終了する。残るIS兵士は、市民20数名の人質を取り、『人間の鎖』をつくらせて、その輪の中に潜んでいるだけだ」

現地司令官のカレルド・ブレベス少将(西ミンダナオ司令官)は、「彼ら残党は40名足らずであり、600メートル四方の地区に立て篭もっているが、食料も弾薬もつき、殆どが負傷している。リーダーの多くはすでに空爆で死亡した」と語っている(アジアタイムズ、9月7日)。

戦略拠点だった市内最大のモスクと兵站ルートとなっていた二つの橋はすでに政府軍がおさえ、36万人の避難民の医療、食料を運んでいる。救護班には女性兵士も参加しているという。

しかしマラウィを制圧できたとしても、ミンダナオ諸島は歴史的にイスラムであり、レイテ、ルソンのようにカソリックではない。
したがって歴史的対立に終止符が打たれるわけでもなく、マラウィの戦闘終了は、つぎの新しいイスラム過激派との戦いの始め利に過ぎない、という悲観の声が聞こえる。「かれらは14歳以下のこどもを洗脳し、山岳地帯に立て篭もることになるかも知れない」とは現地の報道である。

更には以下の動画なども参考になる。

日本語の解説動画としてはこれ以上詳しいものを見つけっれなかった。
イスラムゲリラ組織の内情について詳しく解説してくださっている。
さすが【チャンネルくらら】である。

ということで。

内藤陽介さんのサイトにも詳しく書かれている。
そちらもお勧め。

それにしても日本は平和ボケしているせいか。
ゆるすぎる。

このサイトは本来勃起サイトなんであるが、

サプリの表示について全く消費者の事を考えていないとか。
嘘の情報をたれ流すマスゴミがその存在を許されているとか。

サプリメントを選ぶときの最低基準を知っておこう 日本のサプリの成分表示は参考にならない!海外サプリに完敗している訳とは

薬やサプリを最大限活用するための知識を身に着けて健康になる!!危険を煽るニセ科学や古い健康情報に注意!

まったくひどいもんである。

今回のフィリピンにISが侵入した事件など、わたしは非常に重大な問題だと思えるんだが。
マスゴミの情報はひじょうに少ない。
真剣に海外サイトを渉猟し、正しい知識を得る力をつける必要があると痛感している。

今回はここまで。