父の死があって、死についても見つめていきたいとおもう今日このごろである。
肉親の死がこれほど衝撃的だとは私も思っていなかったんで。
われながら驚いている。
それと自分の死も意識に上ってきている。
人間は本来120歳までは普通に生きられるんだそうだが、その前に病気などで死んでしまう。
地球の歴史から言うと0.00・・・1秒にも満たない儚い人生
とはいえ仮に120歳まで生きられたとしてもそrては地球の歴史から見たら文字通り一瞬の出来事である。
私達はそのことを噛み締めながらいまの貴重な時間を生きていくべきだ。
そもそも最古の人類の祖先である猿人トゥーマイ猿人が登場したのが700万年前。
ちなみに中年が学生時代に習った頃にはアウストラロピテクス属が出現した440万年前または450万年前を最初の人類登場の時期としていた。
しかし、700万年前のものとみられる猿人の完全な頭蓋骨が、2001年に中央アフリカのチャドで発見された。
これが2002年にトゥーマイ猿人(学名は、サヘラントロプス・チャデンシス)として名付けられて公表された。
ただし、頭蓋骨しか発見されていないんで本当にこれが直立歩行をしていたのかは、議論があるようである。
いずれアウストラロピテクスよりも古いもので直立歩行をしていた人類の祖先の骨は他にも発掘されていてオロリン・トゥゲネンシスは610万年前。アルディピテクス属は580万年前。
これらは直立歩行をしていたことが確実である。
なぜ人と猿が別れたのか、何時別れたのか。実に興味深い。
未だに飲み屋などで話すと猿と人間が分岐したのがアウストラロピテクス属のときで450万年前だと思っているやつがいるので情報の更新をしたほうが良い。
そういう話を飲み屋して優位に立ったことを思い出して今書いている(^^ゞ

くだらねえ、飲み屋で偉そうにするために仕込んだ知識かよ
でも仮に人類の祖先が誕生したのが700万年前であっても。
よくある地球の歴史を一年を一年のカレンダーで表すやり方があって。
信頼できそうなものから拾って行くと。
その出現は12月31日の午前10時40分。
人類の直接の祖先であるホモ・サピエンスの誕生が20万年前。
午後11時37分。
今私達が生きている時代は午後11時59分59秒野中のほんの一瞬である。
そう考えれば本当に人生というのは儚いものである。
ただ生命は時間に対抗して滅びゆく肉体を次々に乗り換えていくことで永遠の生命を得ようとした。
私はこのサイトを勃起関連サプリ・薬のサイトとして始めた。
充実して生きるということは子孫を残すということでもある。
なぜならば私達は遺伝子を子孫に引き継ぐことで永遠の生命(種が続く限り)を手に入れているからだ。
チンポコの充実なくして充実した人生は送れない。
子孫を通じて私達は永遠の生を遺伝子としていき続けるということはつまり生と死・エロティシズムは一体なのである。
生ある限りSEXに励みたいものである(^^ゞ
山田風太郎の小説に見る生と死・エロとグロ
最近頭が疲れると本を読むようにしているが。
山田風太郎の小説は面白い。
エログロ満載ではあるが、山田風太郎なりの歴史観がそこに含まれていてなかなか重厚である。
今回読んだ「忍びの卍」は再読であるが。
何度読んでも面白い。
ちなみに内容だが。Amazonの内容紹介を引用しておくと。
時は寛永9年。三代家光の治世である。大老土井大炊頭の近習・椎ノ葉刀馬は、御公儀忍び組に関する秘命を受ける。伊賀・甲賀・根来の代表選手を査察し、最も優れた組を選抜せよというのだ。妖艶奇怪この上ない忍法に圧倒されながらも、任務を果たす刀馬。全ては滞りなく決まったかに見えたが…それは駿河大納言をも巻き込んだ壮絶な隠密合戦の幕開けだった。卍と咲く忍びの徒花。その陰で描かれていた戦慄の絵図とは…。公儀という権力組織を鮮烈に描いた名作。
ということで、私もこの作品は山田風太郎の数ある傑作のうちの一つだと思うものである。
レビューも絶賛しているものが多くてうれしい。
忍法帖シリーズにはどの作品にもある程度テーマ性があり、そのテーマに基づいて書かれている作品が多いと思います。 例えば「忍法忠臣蔵」は忠臣蔵のストーリーを基に忠義と反骨を。「風来忍法帖」では山田風太郎らしく「七人の侍」的に忠義と愛を描いているように思います。忍法帖シリーズが一括して貫かれているテーマは、大切なものを、または自分を亡くしてでも国あるいは人に尽くすという忠義、自己犠牲の精神で、その結末には誰もが哀愁を感じえずにはいられれません。
本作はその自己犠牲という忍法帖シリーズの根幹的なテーマに真正面から挑んだ作品だと思います。本文中に出てくる、「大儀親を滅す」という言葉は忍法帖シリーズの根幹をなしているのではないかと。本作は傑作というよりも、「重要作」といってもよいと思います。 とりあえず、忍法帖好きは必読です。「こいつはとんでもねぇエログロバイオレンスな本だぜぇ!」と嬉々としながら、
幕府、伊賀、甲賀、根来と様々な思惑が複雑に交錯しつつ2転3転していくストーリーを思う存分に堪能できる。そのまま終わっても、「エキサイティングな本だったぜぇ!」と満足して本を閉じることもできたのだけど、
全貌が明らかになるラストでは意外な驚きとともに、封建制度の中における人の儚さと悲哀が胸を打ち、複雑な余韻を残す。うーん、ファンタスティック。
などと核心を突くものが多数である。
山風太郎の忍法小説には生と死、エロとグロ、公と私など深いテーマが荒唐無稽な忍術合戦の中に深く埋め込まれていて、エンターテインメントではあっても決して軽くない。
でも読み終わっての満足感というのはまた格別である。
山田風太郎に限らないが、ほんの数十年前までは生と死は結構むき出しであった。
タブーはいろいろとあったにしろ、生活の匂いが充満していた。
気違い部落周游紀行 (冨山房百科文庫 31)
という傑作ルポつタージュがあるが。
いまはキチガイという言葉も使われなくなっている。
ほんとおかしい。
キチガイを許容した日本の文化の奥深さを活写したこの名作。
実際日本の深層に迫るこの本は名著だと私は思うが読む人がいるんだろうか。
Amazonのレビューを引用しておくが、いまはこんな心臓をえぐったような本はなかなか出版されない。
私は愛国者であるつもりだが。
こんな漂白された日本が時々嫌になる。
紀行、というタイトルからして、偉そうな響きだ。事実、この本を出版した結果、著者は「気違い部落」を出ざるを得なくなったし、一読した人が、「村人を馬鹿にしている」「差別的だ」と激怒した、という話も聞く。その影響か、今ではこの本が顧みられることは、あまり無い。
けれど、この本はそんな差別的な本なのだろうか?
この本において、著者は「気違い部落」の村人をシニカルに見つめる。そして、ここが重要なポイントなのだが、著者自身の中にある「気違い部落の村人らしさ」もまた、皮肉たっぷりに記述される。
そう、この本は「「気違い部落」を「外側から」眺める」本ではない。むしろ、自分も「気違い部落」の「住民」である、という自覚の下に、「内なる「気違い部落」」を観察した、貴重な「内側からの」記録なのだ。
世界に誇るべき名著と言えよう。
これは、きだみのるという第一級の知識人が書いたユーモア日本人論である。
書かれたのは1946年、戦争に負け日本がまだ「国際的閉門」のお沙汰を受けている時である。著者は東京の西端にある川沿いの13戸しか家のない集落の無住の寺に住み、村人たちを観察しノートする。
急峻な山の迫る村に付けられた異称は凄まじいものだが、その過激さは決して集落の住民に向けられたものではない。ぼくが声を立てて笑った一節。
「(66歳のジンザ爺さんは西多摩に住んでいるのに,なぜか隣国である甲州の自慢を著者にする}
先生,甲州はええ国でっせ。物産が七つもある。
こんな国は日本国中金の草鞋(かねのわらじ)で捜したってありっこねぇ。
ええと先ず,水晶にとうもろこし,絹に葡萄、たばこに柿,はてそれから何だっけ。
いや未だ一つある筈じゃ.はあてな……それから信玄公の法名を先生知ってるかね。
これが日本一長いと来ている。覚えときなさい。ただ残念なことに浅野内匠頭の方が二字長い。
残念至極ですわい」
ジンザ爺さんになぜ甲州の自慢をするか聞くとこうである。
「西多摩には威張れるほどのものはないのでな」これを読んで笑えた人には是非お薦めの本である。
村の人はこうも言ったりするのだから。
「先生,良心てのは,自分の中の他人だな」(アマゾンレビュー)
こんなふうに私にとっては面白くないことがたくさんあるんだが。
浅はかな言葉狩りで精神的に死滅したマスゴミのゾンビのような言論弾圧がいまだに続いている。
正義だのコンプライアンスだのヘイトだのと、呪文のような言葉を吐きながらその実相手の言論を封じ込めて、それに気づいていない以上マスゴミは既に死んでいる。
You’re already dead.と言わざるを得ない。
海外でも大人気「お前はもう死んでいる」You’re already dead.
最近出版されている山田風太郎の作品の装丁が味わいがないものになっているのも残念である。
私が買った文庫本の装丁はほぼ「佐伯俊男」の絵であってそれは素晴らしいものであった。
もはや普通に見ることは出来ないので、ヤフオクに出店されていた画像を載せておく。
ちなみに現在販売されているものは以下である。
装丁がこんなものでは山田風太郎の小説の価値が伝わらない。
どんどん漂白され、エログロがけされていく社会というのは恐ろしい。
なぜかといえば無いことにされてしまっても実はあるわけで、ただ単に抑圧されてしまっているだけなんだから。
今不倫が問題になっているが。私的には人類誕生とともに不倫は行われ続けてきたんである。
人間だけが「不倫」と騒ぐ不思議 昨今「いけない」と叫ぶのは「真面目型の男たち」だ 動物行動学研究家、エッセイスト・竹内久美子
この際、はっきりと言っておこう。単なる浮気(ペア外交尾)に対し、わざわざ倫理に反するなどと大騒ぎ。本来、いいとか悪いとかではない(むしろ動物として大変重要な)問題に対し、わざわざよくないという価値観を導入しているのは人間だけなのである。
不倫をするのは良い子孫を残そうとする動物の自然な欲求であって。
それに浅はかな善悪の価値を持ち込む人間の愚かさを自覚しないといけない。
こんなことを書くと批判されることはわかっているが。
あまりにもきれいごとがまかり通っている日本の現代社会は異常だと私は思っている。
たとえば。
三上寛の「しょんべんだらけの湖」は放送禁止歌としてテレビでは全く聴かれなくなったが。
なんでこれが放送禁止に?と思わざるを得ない。
そして三上寛の歌はカラオケでも謳えないんである。
それは確かに卑猥でもあり、危ない言葉の連続ではあるが。
そレでも私は心打たれる。
今のマスゴミの日本人を骨抜きにしようとするタブーの押し付けは本当にひどい。
今は政治的な偏向報道が問題にあっているが。
なにそれだけではない。
マスゴミは日本の精神文化それ自体を破壊しているのである。
ネットではまだそんなマスゴミの言葉狩りなどで消されたものが残っている。
ネットが中国のように完全管理下に置かれないことを私は切に願っている。
そんな日本からフィリピンに行くとそのむき出しの残酷さが逆に心地よい。

私は日本に住みたいよ
フィリピンが特に、だけど。あからさまな死と生がいたるところに露出している。
そんなところに行くと私は何故かこの三上寛とか友川かずきのうたが頭をよぎる。
そしてこの友川かずきが作詞作曲をした曲をちあきなおみが歌っている。
あれ、でも画質の悪いものしか見つからなかった。
でもこの歌も傑作である。
こういう歌が紅白歌合戦で歌われていた時代が懐かしい。
死に直接向き合った「人間臨終図鑑」
ということで、話はそれまくり。なんだが。
本題にはいる。

いま頃ですか?おそすぎだよ
山田風太郎の作品はどれもすごいが。
このサイトで今後継続的に書いていこうと思うのは「人間臨終図鑑」である。
上中下3巻である。私はこれを持っているが、もちろんその後も別の版が出ている。
やっぱり装丁が無難になりすぎてがっかり。
SEXと死の本質を掘り下げてその本質を明らかにしたジョルジョ・バタイユについては前書いたけど。
具体的に人の死に様を見ていくのはとても勉強になる。
私達は残念ながら死からは逃れられない。であるならば、良い死に方をするためにも「死に様」を勉強したいところだ。
今回は「コロンブス」について見てみたい。
定説ではイタリアのジェノヴァ出身。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達した。(ウィキ)
ということで有名なわけだが。歴史的に再評価されたコロンブスの評価は散々である。
1492年の「新大陸」へのコロンブスの上陸時に約800万人いたインディアンの人口は、1496年の末までに、その3分の1までに減った。さらに1496年以降、死亡率は倍加していった。量的にもスケール的にも、コロンブスは、エルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロに並ぶ、虐殺目的で戦争を楽しんだ最も悪名高いコンキスタドール、征服者の一人と言えるだろう。
コロンブスのインディアンを見下した傲慢さや残虐さについては、多文化主義に基づく歴史家たちは、これを典型的な西側の白人男性の、原住民に対する人種差別的偏見としている。ゲイリー・ナッシュ(英語版)は、コロンブスはインディアンに対して、不合理な敵意に根ざした独特な「ヨーロッパの傲慢な本質」を体現していると告発している。カークパトリック・セール(英語版)は、「偏見を起因として他の種に対して交戦が見られるということは、ヨーロッパ文化としては空想的なことではない」としている。またスティーヴン・グリーンブラットはコロンブスについてこう述べている。「政治的、経済的、文化的なカニバリズムという、西洋史のなかでも最大の実験を開始したのがコロンブスである」
そもそもコロンブスヲイ人のように思っている人は情弱である。
コロンブスがケチで偏屈で利己的で、人間として破綻していたことは少し調べればわかる。
この様に人類最悪の悪事であるインディアンジェノサイトを繰り広げたコロンブスの最後を主に山田風太郎の記述を基にして見ていきたい。
40代なかば過ぎの大冒険によってアメリカ大陸を発見したコロンブスだが、その貪欲さや冷酷な性質によって周りに多くの敵を作るようになった。
そして最後の航海から帰って来た58歳時。誰も迎えに出るものはなかった。
しかも最初の航海時にイスパニアのフェルナンド王とイザベル女王と約束した様々な特典はすべて無視され、反故にされた。
1,506年ようやくフェルナンド王との謁見が実現したが。
過去に交わした契約書は無視された。
コロンブスは激しい痛風に悩まされながらも自分の主張を受け入れてもらうべく奔走をしたが、ついに行き倒れ、5月20日に息を引き取った。
しかも彼が発見したアメリカ大陸は、彼よりも後にアメリカに行ったアメリゴ・ベスプッチの何よりアメリカと名付けられた。
更には彼の遺骨は様々な場所に移し替えられ、彼の魂は死後も安住することが出来なかった。

げええすごい人生だったんだね、びっくり
ウィキの記事で具体的に書かれている部分を引用しておきたい。
インディアンの殺戮に”大勝利”した後、コロンブスは予定通り、捕らえたインディアンを奴隷として本国に送るが、イザベル女王はこれを送り返し、コロンブスの統治に対する調査委員を派遣した。驚いたコロンブスは慌てて本国へ戻って釈明し、罪は免れた。
コロンブスがカリブ海諸島で指揮した行き当たりばったりの大虐殺は、「黄金探し」を使命としたスペイン海軍によって体系化され、 あらゆる部族の子供以外のインディアンが、3カ月以内に一定量の黄金を差し出すよう脅迫された。金を届けたインディアンには、「スペイン人に敬意を表した」という証しとして、その男女に首かけの標章が贈られた。金の量が足りなかった者は、男だろうと女だろうと手首が斬り落とされた。
コロンブスらスペイン人の幻想よりも当地の金の量ははるかに少なかったので、死にたくなかったインディアンたちは、生活を犠牲にして金を捜さざるを得なかった。インディアンが逃亡を始めると飢饉はさらに悪化した。コロンブスらスペイン人が運び込んだ疫病は、栄養失調となったインディアンたちの弱められた身体をより激しく蝕んだ。そしてコロンブスたちと同じく、スペイン軍は面白半分に男を殺し女を犯す楽しみを決してやめなかった。
1498年5月、6隻の船で3度目の航海に出る。今度は南よりの航路を取り、現在のベネズエラのオリノコ川の河口に上陸した。その膨大な量の河水が海水ではなく真水であったことから、それだけの大河を蓄えるのは大陸であるということをコロンブスは認めざるを得なかった。しかし彼は、最期まで自らが発見した島をアジアだと主張し続けたという。
その後、北上してサントドミンゴに着くと後を任せていた弟・バルトロメの統治の悪さから反乱が起きていた。コロンブスは説得を続けるが、入植者たちはこれを中々受け入れず、1500年8月に本国から来た査察官により逮捕され、本国へと送還された。罪に問われる事は免れたものの全ての地位を剥奪される。
それでもコロンブスは4度目となる航海を企画するが、王からの援助は小型のボロ舟4隻というものであった。1502年に出航したが、イスパニョーラ島への寄港は禁じられており、パナマ周辺を6か月さまよったが、最後は難破して救助され、1504年11月にスペインへ戻った。しかし1504年末にイサベル女王が死去し、スペイン王室はコロンブスに対してさらに冷淡になった。
帰国後は病気になり、1506年5月20日スペインのバリャドリッドにて死去。その遺骨はセビリアの修道院に納められたが1542年にサントドミンゴの大聖堂に移された。コロンブスの死後、ドイツの地理学者マルティン・ヴァルトゼーミュラーが手がけた地図には、南米大陸の「発見者」としてコロンブスではなく、アメリゴ・ヴェスプッチの名前が記されてしまった。この結果、ヨーロッパでは「新大陸」全域を指す言葉として「コロンビア」ではなく「アメリカ」が使われるようになった。
この様に晩年のコロンブスはインディアン虐殺の犯罪人として、全く人望を失っていたようだ。
コロンブスの最後は行き倒れであった。しかも全ての希望を失って・・・・・悲惨といえば悲惨な人生だ。
しかも時代を減るに連れてコロンブスの評価は下る一方だ。
歴史にも見放されたコロンブス。
でもこんな人生もありだ。と私はおもう。
日本でいうと戦国時代真っ只中、雪舟が亡くなった年だという。

昔の偉人たちがかかった病気
よく昔に偉人たちの晩年を見ると痛風似悩まされていたという記述が多い。今まで書いた中でも小林一茶もそうだったし、カサノバもそうだった。
痛かったんだろうなあとおもう。
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コロンブスの臨終のことを知り改めて現代に生きていることの幸せを感じることが出来た。
今回はここまで。