今回は種田山頭火の死に様を見ていきたい。
山頭火は今の日本だったら絶対に生きていけなかった性格破綻者であるが。
彼の俳句や日記を読むとその自由な精神に癒やされる思いがする。
とはいえ山頭火が楽しく生きたかといえばそんなことはなかったと思う。
苦しみぬき、死に場所を求めて生きて、そして死んでいった。
そのもがき苦しみ社会から外れていく様が良いんだよねええ
マジ?こんな男掴んだら身の破滅だわ
種田山頭火はどうやって生き、死ぬときはどうだったのか?

マジ?こんな男掴んだら身の破滅だわ
種田山頭火といえば
うしろすがたのしぐれてゆくか
分け入つても分け入つても青い山
おちついて死ねそうな草萌ゆる
など自由律俳句の旗頭として有名だ。
私も彼の俳句は大好きだが・・・・
もし身近にいたらこんな頼りないヤツもいないのではないかと思われる。
特に家困難化しようもんなら苦労させられるのは目に見えている。
そして実際奥さんとは離婚してるんだが・・・
自由律俳句の旗頭として双璧をなす尾崎放哉もそれ以上にいやなやつだが。
もうひとり、わたしが大好きな石川啄木ももし身近にいたらいやなやつだったと思う。
身近にいたら金を無心され、罵倒され、地獄に引き込まれるのがオチだろう。
彼らは全員人生の落後者であるが。
そんな中では山頭火はかなり同情できる方である。
1889年(明治22年)4月 正一、佐波郡佐波村立松崎尋常高等小学校尋常科に入学。
1892年(明治25年、10歳)3月 母フサが、父武治郎の芸者遊びなどを苦にして、自宅の井戸に投身自殺。享年33。以後、正一は、祖母ツルの手によって育てられる。少年時代の楽しい思い出はこの出来事で完全に中断される。成人後に山口へ戻るたびに「私の性情として憂鬱にならざるを得ない」と述べており、母の自殺が放浪者としての山頭火を決定づける基因となる。(ウィキ)
と、10歳のときに母親が、父親の政治狂い女狂いなどを苦にして井戸に身を投げた。
これが山頭火の生涯を有る意味決定づける。
確かに10祭といえば今でいう小学生の自分に母親が自殺したら子供が精神が壊されてもやむを得ない。
その粉々にされたかけらを拾い集めるかのように。
人生の後半の放浪は母親の面影を追う旅となった。

俊さんは元気だろうか?ベトナムでライブに行ったときが忘れられないわ。
まりちゃん無修正写真。暗いからよくわからないだろ。ホーチミン市のライブハウスでの写真。マリちゃんて俊さんに可愛がられてた。

彼はとても優秀な子で、勉強も良く出来、19歳で市立東京専門学校(早稲田大学の前身)予科に入学し、その後早稲田大学文学部に入学するが。
神経を病んで退学。帰郷。
父が酒造場を買収するが、その事業に失敗。
その後結婚をして長男が産まれるも。
その後家が破産し、父は行方不明になる。
山頭火は熊本に逃げ、古書店、ついで額縁屋を開くが、この時既に通常の生活を営む能力も意欲もなくしていた。
この間弟の次郎が自殺。
山頭火は妻を捨てて上京し、その後離婚。
転々と職を変えて虚しく独身生活を送るが、関東大震災にあって元妻がいる熊本に逃げ帰る。
泥酔しして線路に寝て、電車を止める事件を起こしたことがきっかけで僧になり、味取観音堂の堂守となる。
その後43歳のときに一鉢一堂の乞食僧として放浪の旅に出た。
その関素晴らしい俳句を読み始める。
50歳で郷里に「其中庵」を結庵したが精神不安定のため自殺未遂を起こす。
この頃性的も不能になる。
昭和7年12月31日の彼の日記には
「昭和7年度の性的整理は6回だった。内2回は不能。外に夢精2回。呵、呵、呵、呵。」
昭和8年4月21日。51歳
「性欲をなくしたノンキなおじいさん!私もどうやらそこまで来たようだ。」
54歳で雲水となり、九州からはじまって信州から東北へと旅をした。
ついに旅に疲れた山頭火は愛媛県松山市に移住し「一草庵」を結庵。
その翌年。
おちついて死ねそうな草萌ゆる
と詠む。
その年10月2日の日記。
「この夜どこからともなくついてきた犬、その犬が大きな餅をくわえておった。
犬からすなおに受けて餅のごちそうになった。」
と犬からも施しを受ける境涯になった(^^ゞ
10月10日。
一草庵で句会があった。
山頭火はいびきをかいて寝ており、俳人たちは勝手に句会を開き、11時頃にわざと起こさずに散会した。
翌日、彼が死んでいるのが発見された。
山田風太郎は心臓麻痺だったと書いてあるが、作家の臨終・墓碑事典では脳溢血とされている。
いびきをかいて寝ていたというところから見ると、どうも脳溢血のほうが正しいようだ。
著名作家たちの最後の言葉・死因・戒名・近親者の回想と墓地・墓碑の様子等を紹介。収録された作家は363名。排列は作家名の五十音順。近親者に見守られながらの大往生、一人ひっそり旅立った終焉、その死にざまは、私たちにさまざまな人生観を教える。著名作家たちの最後の言葉、死因、戒名、墓地・墓碑の様子などを紹介。
文章的には山田風太郎の臨終図鑑のほうが断然優れているが、事実関係を突き詰めているという点ではこれもおすすめ。
山頭火は50歳でインポになったが・・
山頭火は人生の敗残者ではあるが、最終的には自分の人生を正直に歩んで死んでいった幸せな人だとおもう。
一茶と同じく、性欲を脱しきれなかったところも私には好感が持てる。
もし山頭火の時代にED治療薬があったならば、彼はきっと試したに違いない。
そして亡くなるまでSEXに励めたはずである。
そうであれば彼の俳句もまたもっとたのしいものになった可能性がある。
もし私が近くにいたらシアリスを強く勧めたと思う。
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記事の中では安いということでタダシップを勧めておいたが。
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私は俳句も好きだが、彼の日記が好きだ。
これも小林一茶と似ている。
そういえば死因が脳溢血なのも同じである。
これもまた現代に生きていれば解決できるものである。
先ほど紹介したシアリスはED治療薬であると同時に前立腺肥大の保険適用薬である。
かつ高血圧にも効果がある。
それが一日30円以内で摂取することが出来、効果も抜群なんである。
しかも安全性については国が保証している(保険適用されてるわけなんで)
一つでも心当たりがあれば飲まないのはもったいない。
なお山頭火については実力派作家が小説にしたものがない。
小林一茶や長塚節であれば藤沢周平が。
尾崎放哉であれば吉村昭が素晴らしい作品を残してくれている。
また伝記についても素晴らしいものが探しにくい。
おそらく種田山頭火と検索しても見つかりづらいと思うので、以下を紹介しておきたい。
なかなかであると私はおもう。
種田山頭火(一八八二~一九四〇)俳人。生涯を漂泊行乞の旅に生きた、俳人山頭火。破天荒な一俳人の澄んだ声は、いまなお、われわれの心を揺り動かす。山頭火伝の決定版。
レビュー
解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た…分け入つても分け入つても青い山
この前書のあるこの句が山頭火の境涯を象徴しているように思われる。居ても立ってもいられない何かの事情があってのことだろう。煩悩と言ってしまえばそれまでだが、解きたいけれども解けない人生の謎をそのまま背負って、乞食同然の流転の旅を続けた。
自嘲…うしろすがたのしぐれてゆくか
この簡単な前書のあるこの一句。山頭火の代表句として人口に膾炙している。著者はこの句を「乞食の態の自分の姿を、客観化することで、あらためて自分を責めた」とみる。「自嘲」とは自分を見るもう一人の自分がいて、二つに切断されたどうにもならない〈内部矛盾〉を自嘲しているのだとみなしている。
自嘲…六十にして落ちつけないこころ海をわたる
晩年のこの句も「自嘲」を前書としている。山頭火58歳(大正15年)10月11日松山一草庵に死去。芭蕉が「夢は枯野をかけめぐる」と辞世を詠んだように、山頭火も(辞世ではないにしても)安住の地ははるかなるところにあり、永遠の旅人であったと言えよう。
山頭火は「ころり往生」を望んでいて、山田風太郎はその願いは叶えられたと書いたが。
脳溢血じゃああまり良い死に方とは言えない。
よく死ぬためにも健康には十分心がけて生きていきたいものだ。
今回は短いがここまで。
酒井俊さんの歌をもう一つ載せておく。
彼女のライブは素晴らしい。