49日の思い出

父親がなくなってからはや1ヶ月以上が過ぎた。
それで早くも49日の法要を迎えることとなった。

実家が田舎のこととて。
5日ばかり田舎に帰っていたのでサイトの更新ができなかった。

わたしの実家には今母が一人でいて。
当然ネットの環境もないのである。
父はネットで株の売買などをやっていたが。
今はその回線も切られていた。
母は全くパソコンにさわれないからである。

実家に帰ると庭に花々が咲き乱れていた。
父は教師だったが様々な趣味があって釣りもすれば猟もする。
みつばちを飼って養蜂業もやっていた。
更には畑で野菜を作り、大規模な庭を作ってその中に池を作ったりして遊んでいた。

49日の法要を思ってか咲き乱れている花々をみて、父のことを思い出し感無量だった。
家の庭で撮った写真。

 

うちは分家だったんで今回新しくお墓を作り。
法要には親戚やらわたしの子どもたちやら近所の人達やら結構な人達が集まった。
おしょうさんに来てもらい、新しくしつらえた佛壇に魂入れをしていただき。
その後法要。
更にお寺に行ってお骨を埋葬。
その際にもおしょうさんに読経をしていただいた。
その後ホテルにて会食。

父を偲ぶために沢山の方が来てくださった。
が、最後のホテルの会食についてはあれこれ修正をお願いしたことが全くなされて無くて少し腹だたしい思いをした。

葬儀や法要など参加はしたことはあるが当事者として準備をしたのははじめてのことだったんでじつにさまざまなことが起こる。

都会であれば簡単に済ますのかもしれないが、田舎ではそうもいかない。
これから初盆。一周忌とあってそれぞれ何やかやある。

しかしその一つ一つが父親を偲ぶ縁(よすが)となる。
大変だが、ありがたいことだと思った。

 

遺伝子を未来に伝えることの大切さ

それで葬儀や今回の四九日の法要を通じて改めて感じたことは人は一人で生きているんじゃないなあということ。
私の田舎はど田舎なせいか、人と人の繋がりが非常に濃い。

父親が亡くなったと聞いてすぐに地元に住んでいる私の同級生が集まってくれた。
それでみんなで葬儀を手伝ってもらったんだが。
その時は忙しくて話もできなかった。

それで今回帰ったときに、葬儀のときのお礼も兼ねて一席設けた。
久しぶりに楽しかったんだが。

そこで驚いたことがあった。

私達の中学校の同級生(つまり一学年)は300人以上いるんだが。

50歳もすぎると亡くなっている人もいるし。
所在がわからなくなった人もいる。
しかも。
田舎なんで大半は地元を離れて日本中に散らばっている。

しかし、同級会ともなると150人は集まる。同級生の半分だ。

50歳といえば中学校を卒業してから35年経っている。
それで自発的に半分も集まってくるのだから我ながらすごい。
都会では考えられないぐらい絆は強い。

それで同級会は地元の同級生たちが仕切っているんだが。
その彼らが葬儀を手伝ってくれたのであった。

それで飲みながら話が出てきたのは同級生の近況であった。
彼らはそれぞれの人達について事細かに知っていて、それで驚いたのだった。

田舎のこととて長年住んでる人たちは何らかの形で血の繋がりがあったりする。
だからある意味当然なのかもしれないが、特に同じ県内に住んでいる同級生に関しては本人のみならず家族のことまで詳しく知っているのは長年都会ぐらしをしている私には非常な驚きであった。
本人のことは勿論。あいつは体を壊しただの、癌で先がないだの。商売で大成功しただの。
様々な話を聞くことによって中学生の頃の面影が浮かんでくる。

また、鳶が鷹を生むのたとえ通り、同級生の子どもたちが様々な分野に進出してでかい顔をし始めている。
というようなことを嬉しそうに話すのだった。

どん百姓の息子が某一流国立大学医学部を主席で卒業したとか。
誰それの息子が東大に入ったとか。
そんな事を同級生みんなで我が事のように喜んでいるという。

勿論中には自殺したりした同級生もいた。
過激派に入ってリンチを受けて半身不随になったものもいる。
子育てが上手く行かなくて子どもたちが引きこもりだというような話も聞いた。
それはまた残念そうに話してくれた。

しかしそれらを聞いて私が思ったことはつまりは田舎というのは遺伝子の集積所なんだな、ということ。
先祖の遺伝子を受け継いだ私達は遡ればどこかでつながっているわけだが。
そのうちどこかが強調されて人は生まれ、生きていく。
それは確率的なもので、生まれてくる子供に責任はない。

もともと人類だってその多様性の中で環境の変化に適応し、生き残ってきたわけだ。
うまくこの人生を渡りきった人も失敗した人もそれは表現の仕方の違いであって、彼らが現世の成功失敗だけで同級生を評価していないことに私は感動してしまったのである。
それはあくまでも仲間の近況であって、決して批判的ではない。
真の意味で対等にそれらの人たちの生き方、現在の状況などを話してくれているのである。

田舎では多くの人たちの遺伝子が混ざり合っている。
大きくみたら日本全体もそうだとは思うが。
何代も続いて住み着いている人たちの血が混じり合って、みんながそれを意識している。
だから他人ではないんである。
そういう意識が濃密に漂っているから同級生の父親の死を悼む気持ちも湧いてくるし、同級生やまたその子孫たちの消息も自然に忍ばれる。

人間はそうやって子孫繁栄を願ってきたし、自分の人生を子孫に託す。
そして喜びも悲しみも共有している。

私は高校を卒業してすぐに首都圏の大学に行くために田舎から離れてしまったので。
あまりそういう気持ちになったことはなかったが。

今回父親の死を通してこの事を強く感じた。

ドーキンスの利己遺伝子じゃないが、人は過去の先祖の遺伝子によって生かされおり、また死んだ後も子孫の中に生き続けるのである。
人の体はただ遺伝子の乗り物であって、それを乗り継いでエントロピー増大の法則に逆らって肉体の死を乗り越え、永遠の生を得んとしているのである。

三葉虫は三億年の長い間生き延びたわけだが、つまり種は遺伝子を乗り継いで3億年の生を生きた。
意識がある存在としては短いものの子孫を残すことによって生き続ける。

頭ではわかっていても実感としては感じられなかった私だが。
この感覚を自然に共有している同級生たちに啓発され、何かずっと忘れていたものを思い出させてもらった。

そしてまた子供を作ることに大切さを痛感させられた。

私は子供を作れない人を差別したりするのは良くないことだと思うが。
子宝に恵まれた人を祝福するという当たり前の感覚に対して、あまり歓迎されないような風潮に対してはもともと違和感があった。
子供を産めない人たちが子供を最優先にしているお母さんたちにいきり立つのはどうか?と私は思っている。

思い起こせば・・・・・・・

子供は子宝といい、授かりものと言った。
授かりものという以上自分の子供ではあるが、自分だけの子供じゃないのである。

その本当の意味を知るべきじゃないかとおもう。

子供がいてはじめて私達は死んでも遺伝子の中に生き続けることができる。
子孫繁栄は本来的にうれしいもののはずだし。産めないことは残念なことなんである。
子供は3人は産むべきだといった大臣がマスゴミなどのバッシングを受けて謝罪したが。
私にしてみたらアタリマエのことを言っただけだとおもう。

かく言う私も3人以上子供がいる。

育てるのが楽だったとは言わないが。
子供というのは可愛いものである。
私はいつも。

7~8歳ぐらいまでは子供というのは本当に可愛くて、私達を幸せにしてくれる。
それだけで十分以上に親孝行をしてくれている。

その後の子育てがどんなに大変でもそれは親のほうがお返しをしているだけなんだと。

そういう言い方をしている。
子供はまさに宝物なんである。
そして運良く子宝に恵まれたことを感謝し、ともに育み合うのが親子というものなんだと思う。

私の子どもたちも自分たちの子供ができればその事がわかる。
女の子の場合中学生になると父親を拒否し始めるが。
自分の子供が生まれれば小さいときはかわいがってもらったということが思い出され、またその愛を理解できるのである。

父親が亡くなって私は親の恩は山よりも高く谷よりも深いことを実感した。

前も書いたが石川啄木の詩がいつも頭によぎる。

故郷の山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな

このサイトを作っている理由

それで、私は現在は子どもたちは手が離れた。
だから次の段階に入って。
フィリピンでもう1家族作ろうとしているわけである。

いまはこういう子孫を残そうという活動にたいして厳しい目が向けられている。

不倫はだめだとかなんだとか言ってるけれども、法律的に適合した配偶者のみとセックスするようには人間は出来ていないのである。
そうでなければ不倫なんか起きるはずがない。
頭が固い人は竹内久美子さんの正論を読むことをおすすめする。

人間だけが「不倫」と騒ぐ不思議 昨今「いけない」と叫ぶのは「真面目型の男たち」だ 動物行動学研究家、エッセイスト・竹内久美子

この際、はっきりと言っておこう。単なる浮気(ペア外交尾)に対し、わざわざ倫理に反するなどと大騒ぎ。本来、いいとか悪いとかではない(むしろ動物として大変重要な)問題に対し、わざわざよくないという価値観を導入しているのは人間だけなのである。

動物はいかに自分の遺伝子を後世に残していくかが最大の課題である。しばしば「種の保存」とか「種の繁栄」とか言われるが、それは大変な間違いで、「種」ではなく、どう「自分の遺伝子」を保存し繁栄させていくかが問題だ。

 そのためには、繁殖の相手からより質のよい遺伝子を取り入れることが重要になる。質がよいというのは、免疫力や生殖能力が高いという意味である。動物の基本は、病原体などに打ち勝ち、生き延びることと、繁殖に成功することなのだから。

 そこで主にメスが、質のよいオスを探すことになる。なぜメスがオスを選ぶのかと思われるかもしれないが、深い事情がある。

続きは直接記事にあたっていただきたいが。
性に対する日本の閉塞状況はもはや病膏肓に至っている。

私はそこで海外に目を転じたのである。

東南アジアでも勿論性の規範はある。
だが日本のように偽善的ではない。
東南アジアは大体みてきたが、どこもそれなりに魅力がある。

やはり自分の遺伝子は広い範囲にばらまかれたほうが良い。
と私はその時に思った(^^ゞ

ただ歳も歳なんで、
力があるんであれば東南アジア一体に私の遺伝子をばらまきたいとは思うが。
そこまでは体力的にも時間的にもできない。

そこで・・・・
取り敢えずピノだけで良しとしたい。というか、奇跡的に出会ったまりちゃんとともかくも励んでいこうと今は思っている。

ただ20歳以上も年が違うわけなんでたった一人であっても御しきれるかどうかは疑問である。
しかし頑張りたい。
その情報取集のためにこのサイトを作って運営しているというわけである。
つまりこのサイトは下半身の衝動に突き動かされて作られていると言っても過言ではない。

医療系グーグルアップデートやらアマゾンアソシエイトアカウント剥奪やら。
様々な障害が次々に立ちはだかり。
サイトのアクセス数は全く伸びないんだが。
それでも続けているのはこういうわけなんである。

聞くところによればアフィリエイトで稼ごうと思っている人たちはほとんど医療系分野からは撤退しているらしい。
それはお金にならなければ撤退するのも当然である。

わたしとしては根拠もないような煽り記事が減るのはうれしい。
アフィリエイトのみを目的としている場合、情報の確かさは重視されず、感情を動かしていかにして買わせるかというところに重点が置かれているため。
エビデンスよりもストーリー重視である。
そちらのほうがわかりやすいような錯覚に陥るが、事実に基づかなければ当たり前だが効果はない。
とはいえ今まで書かれた記事はそのまま放置しているんで。
引っかからないようにしてほしいとはおもう。

私はしかし先程書いたように別の動機があって。
自分にとって効果があるサプリや薬を見つけるためにこのサイトを運営している。
だからおそらくずっと続けていくとおもう。

というのも情報をググって調べるだけよりも記事にするとなればきちんと調べるから。
毎回思いがけない発見がある。

これがたまんないんだよね。
そうだったんだあああ!!
とわかるとたのしいし、現実に私もサプリをためすわけなんだが、エビデンスがあるものを選べるとたしかに効果があることを実感できる。

今は取り敢えずの結論を出す時期には来ていて。
それで1万円で体の殆どを網羅する事ができるようなサプリや薬を網羅してみようっと試みているんだが。
それはあくまでも無知だった自分が最低限必要な知識を身に着けた現時点での評価であって。
わたしの知識が増えていくに従って今後どんどん変化していくことは間違いない。

一番の懸案だった勃起関連については私的には今の所解決した。
最近どの記事にも以下の記事を引用しているから呆れている人もいるとは思うが。
これを見つけるのに1年以上の時間がかかったことを思えば、それだけでもこのサイトを作った価値もあったと私は思っている。
いまはシアリス一択である。
これを毎日5mg(1/4錠)飲むだけで日常ふつうに勃起する。

シアリス(タダラフィル)は安全で毎日服用でき、ED 治療薬としてだけでなく、前立腺肥大や高血圧の薬として使えるってご存知でしたか?

今後は興味本位で漢方薬も試してみたりすることがあるかもしれない。
また今後は運動関連についての記事も書いていこうとおもう。

現在勃起はなんとかなっているが運動不足は否めない。
充実したセックスライフには体力が必要だ。
これからはこのあたりも解明していきたいとおもう。

結論としては、自分の遺伝子を残すのは生物として当然の欲求なのであるから抑える必要はない。
また子供はたくさん作るに越したことはない。
そのためには健康を維持する必要があり、特に勃起力を高めるためには男性であれば精進を重ねるべきである。

結局は私達は死ぬべき存在であるからして。自分が未来永劫生きていくための手段として。
自分の遺伝子を後世に残すためにも子作りには全力で取り組みたいものである。

随筆風になってしまったが、記事の間隔が空いた言い訳も含めて書いてみた。

それにしても父が丹精込めて作った庭に咲いていた花々は非常に素晴らしかった。

 

私自身もう一花咲かせたいものである。

タミイ静止画1

このスケベオヤジが

Camera 360