一週間ぶりの更新である。

父の葬式

1ヶ月ほど前に、父が寝たきりになって私も時々様子をうかがっていたんだが。
父が食事を取らなくなったという母からの連絡で。
まだ意識があるうちに来てくれという話があって。
それでは明後日行くから。
と言って軽い気持ちで新幹線に乗った私だったが。
実家に到着したらすでに亡くなっていた。

家に着く2時間ほど前に亡くなったとのこと。

死に目に会えずに親不孝をしてしまった。残念。非常に心残りである。

しかし誰も亡くなるとは思っていなかったので。
驚いたのは私だけではなかった。
妹がいるんだが、彼女もまた週末に行くからと言っていたが、急いでやってきた。
死に目に会えなくて悲しんでいた。

父にとって私はずいぶんと遅い子で。
なので既に90という高齢であった。
享年は数え年で表すので91歳の死であった。

自宅で、苦しみもなく、最後は母と握手をして亡くなったという。
安らかな死だったとおもう。

良かった。

しかしその後が大変だった。

お葬式が終わるまでに一週間ほどかかった。
田舎の事とて。
私も知らなかったさまざまな決まり事があってそれを忠実に守りながら。
通夜。出棺。火葬。お葬式。その他諸々の儀式があって。
都会では考えられない長期間の見送りになるのである。

でも見送りに来てくださった方がたくさんいて有難かった。
火葬やお葬式、その他仏前に手を合わせてくださった方を含めると数百人になる。
血縁の濃さや人と人との縁の深さを改めて再認識した。

私は喪主だったんで、やらなくてはいけないことがたくさんあって、取り敢えず決めることは決めて今日帰ってきたが。今非常に疲れている。
一週間パソコンに向かう暇もなかった。

マリちゃん静止画1

しばらく連絡が取れなかったから何があったんだろうって心配したわ。

今はまりちゃんはフィリピンにいるんで、毎日連絡をとっていたんだが。
携帯も忘れていったし、実家ではパソコンの環境もなくて連絡をしなかったんである(^^ゞ
そういう気分でもなかった。
洪水のように押し寄せてくる様々な用事に忙殺されててそれどころではなかった。

それはともかく・・・・

画像は通夜のときの祭壇。

お寺に行って打ち合わせをし、お葬式をするまでも大変だったが。
その後、分家なので新しくお墓を作る必要があり。その手配などをした。
墓地は取得していたので、墓石を決めたり。四十九日の法要のことを決めたりと。
葬儀が終わってもさまざまなことをいちいち周りの意向も尊重しながら決めなくてはならない。
いやはや大変だった。
江戸の川柳に

出たあなと 入るあなとは 大違い

できるだけ入る穴にも気を使いたいなあと思った。

お墓は大事だよなあとおもう。

だがお金もかかる。
と言うかかかった。
まだこれからもかかる。

高級車を現金で買うぐらいは普通にかかる。
お悔やみ(香典)を頂くので、それで相殺すると持ち出しは8割ぐらいであるが。
財産もない普通の家でさえ結構なお金がかかる。

地獄の沙汰も金次第

とはよく言ったものである。
戒名料、とはお坊さんは絶対に言わないが、実質的にお金によって戒名のランクが決まる。
まともに戒名を付けてもらおうとすれば100万円ぐらいは普通にかかる。
それなりにまともな戒名を付けてほしいと思うのは人情で、母の気持ちも考えてお金を払ったが、これについては違和感バリバリ。

準備はしておいたので問題はなかったが、死ぬもお金が必要か、と思うとすこしだけ気が滅入った。
母親も送らないといけないので心づもりをしておく必要があるなあ・・・・

ちと疲れてて。これ以上書く気力がわかない。

メモ程度のものになってしまったが。
今後このサイトは死にまつわることも書いていく予定なので。
また詳しい記事を書いてみる。

追加

あまりにも短いので、続きを書きました。
よろしければご覧ください。

父の葬式②葬式は大変だが価値ある儀式 長生きするために必要な成分(サプリ) 利己遺伝子の話など

なお死について心構えをしたい方には山田風太郎の「人間臨終図鑑」がお勧め。
文庫では一番まとまっているのが上中下の3冊。
山田風太郎の修行区の迷文に触れることができる。
私もいつも読み返している。
読み通すと言うよりは折りに触れて読み返すべき天下の寄書である。

この世に生を享けた者、誰もが逃れ得ぬ事象、「死」。若き日からこれに興味を抱き、作品を通して独特の死生観を描いてきた山田風太郎。氏が集めた総勢923名という膨大な死の記録である。歴史に名を残す著名人(英雄、武将、政治家、犯罪者、芸術家、文豪、芸能人など)の臨終の様子が淡々と綴られ、死者の人生までも浮き彫りにしていく。