今回はロブスターに寿命がないという記事を読んだので、それを下敷きにしてさまざま書こうと思ったんだが。
永遠の生命か・・・・と思ったら書きたいことが出てきて最初の枕のところででつい自分の人生を振り返った文章を綴ってしまった。
サイトを作るに当たっての考えも書いといた。
それが長いんで独立した記事にしてみた。
ロブスターについては別記事にする。

ああ、ベトナムで食ったロブスターの味が忘れられない。像耳魚も美味しかったけど。

寿命があるから人生は輝く

今回は私がこのサイトを作った理由とか雑多な個人的なことを書いた。
皆さんの役に立つ情報があるわけでもないんで。
軽く読んでいただけたら幸いだ。

マリちゃん静止画1

私達のことはあんまり書かないでね

永遠の生命に憧れる人は多い。あとそこまでいかなくてもいつまでも美しくありたいとか。

このサイトもサプリとか薬に関する情報を主に発信するサイトなんで。
私自身がそういう欲を持っていると思われるかもしれない。
たしかにいつまでも勃起能力を維持していたいという欲望はある(^^ゞ

でも私はどっちかというと永遠の生命に憧れる人生観とは逆の考えを持って生きている。

タミイ静止画1

そうは言ってもちんぽはいつまでも勃ってるようにはしたいんでしょ


がっちゃん静止画1

まあそうなんだけどさ(-_-;)真面目なこと書こうと思ってるわけなんで黙っててくんない?

タミイ静止画1

チンポコ親父だ

と言うのも永遠の生を願う心根には死への恐怖が横たわっている。老いの恐怖というか。そういうものも強烈にある。
カミュの「異邦人」という小説があるが。
主人公が「太陽が眩しいから」というよくわからない理由でアラブ人を殺してしまう小説だ。
有名な小説なので私が詳しく書くこともないが。

しかし一般に言われていることと違う私の感想をいうと。
その根底には自分が死に、存在が消えてしまったあとにもそれとは関わり合いがなく、太陽は輝き、豊かで美しい自然は残る。
自我が肥大した西洋の人たち(今は日本人もだけど)はそれが許せないんである。
自然と人工が切り離されてしまった一神教の世界。
自分が自然から生まれたのにもかかわらず自然を征服しようと掻き立てられる精神を「ファウスト的精神」と言った。
ファウストって永遠の生を手に入れるために悪魔に魂を売り渡した男だ。永遠の生を渇望するということは悪魔に身を売ることだ。

だから永遠の生に憧れるというと聞こえは良いけど。自分のいない世界が輝いているのが許せないというエゴ。そういう醜い一面がある。
「異邦人」はキリスト教世界の世界観に侵された人々の無意識にある不条理をえぐった傑作だと私は思う。
・・・・・と飲み屋で熱く語って、あんたのその感想のほうが「異邦人」のようだと酔っぱらいに言われたりしたが・・・・

シュールといえばコレもシュール

異邦人違法人

タミイ静止画1

全然真面目にやってないじゃないのよ

日本という国の素晴らしさ

しかし日本人は本来そう思って生きてこなかった。アメリカ大陸でほぼ皆殺しにされたインディアンと呼ばれた人たちも同じような世界観だったようだ。
西行芭蕉の生き方はいまだに私達の心に深く根ざしていて、無意識のうちにも潔い生き方をしようとする。
嘘をついて平気と言うことはない。人の言うことを信用する。正直が美徳である。

だから朝鮮やシナのような嘘をついて生きるのが当たり前の宗教を持っている人たちには騙される。
儒教は紛れもない宗教であって、現在の都合によって過去を変えてもいいという普通の日本人にはちと信じかねるドグマだ。
彼らにはまともな法律はない。過去に遡って現在の都合の良い法律で裁く。
だから韓国の大統領は全員権力のzを滑り落ちるとを刑務所に入れられたり自殺に追い込まれたりする。
その行為を適法に行っていても、後でナニをされるかわかったもんではない。
しかしこれは歴史を紐解けば朝鮮しなでは当たり前のように行われてきたことだ。

日本人はそのことを知らない。孔子の好物が人間の肉の塩辛だったとか。
そういう事実をスルーした形でしか儒教を教えられてこなかった。
日本的美意識から外れるものは捨象されて輸入されてきたから、やむを得ないが。

その結果素直になりすぎ、相手を美化して言うなりになる日本人は騙しやすいと言うのがシナ朝鮮人の評価だ。
だが、騙すよりは騙される方が良いというのは数千年に渡って日本人が得た知恵だ。それは限りある人生を心豊かに生きようとするからだ。

フィリピンで韓国人がやってること

フィリピンなどの女性が日本人が好きなのは仮に女性との間にお金のやりとりが発生するような行為を行う場合でもちゃんとお金を払うからだ。
そんなの当たり前だろうと日本人なら思うだろう。
ところがアメリカ人とか特アの人間は平気で踏み倒す。

フィリピンの人たちは集団で売春をする日本人を気味悪く思っていて、そういうのは嫌われる。
最近ではフィリピンに進出しているトヨタの日本人従業員の評判が悪いようだ。
それは個人で女性を口説けないからだ。
忘年会かなんかでピノをたくさん呼んでストリップさせたりして。
フィリピン人は言わないから日本人は知らないが、そんな噂はあっという間に地域に広まって軽蔑されている。
私はトヨタのフィリピン本社があるラグーナ州の知人になぜ彼らは集団で女を買うのか?頭がおかしいのか?と言われたことがある。

だが、それで殺されることはない。軽蔑されるだけだ。支払いはきちんとするからだ。
フィリピンでダントツで殺されているのは韓国人だ。
恨みを買ってフィリピン人に殺されるのと。
韓国人同士で殺し合うからだ。
しかも子供を作っても平気で捨てて逃げ出す。
今や捨てられた韓国人との混血がたくさんいてコピノと呼ばれ、社会問題にすらなっている。
ベトナムのライダイハンといい、韓国人の卑劣さというのをもっと知ったほうが良い。
はっきり言って既に日本に同化して日本人以上に日本人らしい在日の方もいて。
そういう方々にとっても韓国自体の犯罪を隠蔽しながら捏造された慰安婦問題で騒ぎ立てる祖国というのは非常に迷惑な話だという。

日本人も集団になるととんでもないことをしでかす可能性があるけど。
フィリピンにおいて個人で生きている日本人に対する信頼感は大変なものだ。

日本人はだからモテる。
戦後朝日新聞なんかがシナチョンの手先となって私達の先祖を貶め、閉ざされた言語空間を支配し続けたtめに国内で自虐史観が蔓延したため。
無私の貢献を行い、体を張ってアジアの人たちを守ってきた祖国日本の素晴らしい過去を他ならぬ外国j人に教えられるという。
そんなバカげたことも起きた。いまようやく多くの人たちが覚醒し始めたもは嬉しい事だ。
一旦外国に出れば日本がアジアに対して行った貢献を特亜以外の人達は感謝の気持ちを未だに持ち続けているという事実を私たちは忘れてはならない。

その点嘘ばっかりついてフィリピン人を差別し、恨みを買う韓国人は尊敬されていない場合が多い。
勿論日本人の中にもとんでもない人がいるし、韓国人の中に結ばらしい人達がいる。
そんなことを前提の上で、やはり宗教が違えば違う人間が育っていくことは間違いがない。

 

日本人の心の奥底に根付く無常観

日本に根付いている無常観というのはニヒリズムではなくて、儚い命であるからこそ生きているこの一瞬一瞬を輝かせて生きていこうという非常に肯定的なものだ。
人間は地球から生まれ、地球に帰っていく。その循環の中でたまたま人間世界に僅かの間とどまっているだけなんである。

月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。
船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。(奥の細道冒頭)

人生は地球の中で生成し消滅する長い循環の中のほんの一瞬であり、私たちは人間である年月が尽きるまで、生まれてきたその世界を旅するのである。

だから死ぬのは永遠の生を渇望する人に比べたら怖くないし、生きている今を大切に思えるのである。だからこそ人を傷つけたり嘘をついたりして生きる時間がもったいない
このような考えのもとになっている般若心経とか華厳教は非常に科学的な自然観を提示しているが、日本人にはもともと同じような自然観があったからそれを受け入れ、外来の思想の上に自分たちの精神を重ねた。そしてそれを日本人らしく論理としてではなくて情緒として昇華させた。

日本の無常観を表す言葉はありがとう・おかげさまで・もったいないの3語である。
人は感情とか理屈ではなくて宗教によって行動が規定されるから。
自然に感謝の振る舞いをするし、教区たんな言い方だが、ウソをつくのが当たり前の宗教に支配されている韓国人は人を見下してかかるのである。
韓国人と日本人は見てすぐ区別が付くと、フィリピンでもベトナムでも言われた。

日本人だと無意識にありがとう、おかげさまで、という気持ちが仕草に現れるからだ。

徒然草で最も有名な7段に無常観の真髄が書かれている。

老年になってから日本に帰化したドナルド・キーンも学生のときに日本に留学してきて、この段に感激したという。

そして日本語がわからないアメリカの友人に日本語のまま読んで聞かせたという(^^ゞ読み聞かせられた友人は迷惑したと思うが・・・・
世界中永遠の生を願う民族ばかりなのに、日本人は「世は定めなきこそいみじけれ」といって命に限りがある(死ぬ)からこそ今生きていることがかけがいのないものになる。

世界に類を見ない価値観だ、素晴らしい!とキーンは驚いたという。
私も大学を卒業する頃に暗記した。

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。

 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。

 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交らはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

そしてわたしの場合、大学を卒業するときに会社に勤めるのはやめようと決め。友人たちが大企業に入って出世したり、医者になったりしているのを横目で見ながら浮浪者としてして生きてきた。
私にとって徒然草のこの一節の影響は大きかったと思う。
私が大学を卒業する頃って一流企業に就職するとか公務員になるのが最も安全な生き方だった。
(今もそうかもしれないが)
そうしない、って決めたわけなんで周りは猛反対した。
そうされるのも最もだと思ったし。
私もこんな生き方をしてたら多分野垂れ死にするんだろうな、とずっとおもっていたし、そうなることを覚悟して生きてきた。


♫俺は自由48年間一日たりとも働いたことはない 逃げろ Yeah Yeah Yeah
俺は自由48年365日一分一秒たりとも働いたことはない 逃げろ Yeah Yeah Yeah♪

と忌野清志郎の歌のごとく生きてきたのであった。
ちなみに彼の「十字架」シリーズのアルバムは傑作だ。
当時としてはあまりにも過激なためにメジャーでCDを出せなくてインディーズレーベルから出した。
だから知らない人が多いのでおすすめしておく。

そんな浮浪者生活ではあったが。今振り返ってみるとなんだかんだいって生き延びるすべはあるんだなあって思う。
でもそれは結果としてそうであったというに過ぎない。
路上生活をしている人達を見ると何故か親近感が湧いてくる。私も一歩間違えばダンボールの上に寝ているかもしれない身である。

今まで野垂れ死にせず(^^ゞかつ子供もいっぱいいて、現在は若い彼女もいる。
そして「ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき」生活を送っているのはたまたまのことにすぎない。

このサイトを作ろうと思ったわけ

そんな私だが。

数年前、携帯でメールもできなかったデジタル音痴なのに、自分でサイトを作ってみようと思い立った。
パソコンはメールをやったりインターネットでエッチな動画を中心に、あとは政治系のサイトを見るぐらいしかしたことがなかった。
ちょっと画面が変わったりしただけでどうしたらいいかわからなくなって頭が真っ白になるレベル。いわゆるパソコン音痴だったんである。


だから情報は本から得ていた。典型的なアナログ人間である。
ただし昔からテレビや新聞は読んだことがない。浮浪者だけにそういう権威ある情報(洗脳?)が胡散臭いということは感じてた。
インターネットで情報を仕入れるようになってからは、加工されていない生の情報に接することができ、その点魅力があると感じるようになった。
今マスゴミとか言われれ既存マスコミの「報道しない自由」や偏向報道の実態が多くの人たちに知られるようになってきたが。
そういうことはネット世代でなくても私のような浮浪者は昔から知っていたことなんである。

先程も書いたが海外に一度出て見ればマスゴミの言っていることなど嘘ばかりだったとわかってしまう。
私ほんの数年前に「従軍慰安婦が性奴隷だった訳ではない」と言って袋叩きにあったことがあるが。
いまは誰も私を非難する人はいない。朝日新聞のほうが嘘つきだとバレたからだ。

でもそうなったのはほんの数年前。私と同年代の人たちは未だに売国反日のプロパガンダの洗脳から脱却できていない人が多い。
その点若者はすごい。
別に苦労したわけではなくてただ様々な情報を並べて見ているだけなんだが。
それで正しい判断ができるんである。

私はだからネットを駆使する人たちのほうが気が合う。


こういう動機もあって。
キーボートを打つのにブラインドタッチではなくて一本指で打ち込むレベルの人間が「おらもサイトを作って見る」、と言ったわけなんだが。
周りからはまた馬鹿なことをはじめたと言われた。
でもいまは最低限のことはできるようになった。ホント最低限だけど。画像編集とか動画を作ったり。サイト構築もまあ1日あればできる。

そして・・・・出来たらネットを使ってビシネスをしてみたいもんだと思い始めたのである。


よく奴隷的な生活から抜け出すためにネットビジネスをしよう!という話があるけど。
私はいままで就職した事もバイトをしたこともなく。生きてきたんで。それだったらネットビジネスをやるのふさわしい人間だと思った。
最大の問題は私が子供の頃にはインターネットなんかなかったし、その後の人生においてもパソコンを使う仕事をしたことがなかったということだ。
つまりまったく感覚がつかめないということであって、これが一番の苦労だった。
これは例えて言えば中年まで英語がまったく話せない人間が英語圏で一人でビジネスを始めるようなもんだ。
若い人には到底理解ができないことだと思うが。ネット上のスキルというのはアナログで生きてきた人たちにとっては別次元の世界のものであって。
まさに別の言語体系。それぐらい違和感があるものなんである。
でも・・・・・・
もし120歳まで生きるとしたら人生はあと半分はあるわけなんで。ネットが駆使できないようだと今後ダイナミックに動いていく世界の醍醐味が味わえないと思い、頑張ってみた。


私は数年前フィリピンでの仕事に関わるまで一切英語が話せなかった。
これが多少なりとも意思の疎通ができるようになったのは英語しか話せない彼女ができたから。


恋人と話すのに通訳を介する訳にはいかない。
エッチしてるときに「どこが感じるか」とかを通訳に尋ねてもらう訳にはいかないではないか(^^ゞ

ってことで性欲レベルの強いモチベーションさえあれば40すぎまで一切関わり合いがなかった英語だって最低限の用が足せる様になるわけだから。
携帯メールの操作すらできない自分でも、勉強すればサイトを作るぐらいはできるようになるはずだって思った。

しかもパソコンができるようになったらそのうちホテルのプールサイドでパソコン一つで仕事ができるようになりたいなんて考えていた。
このイメージはほとんど情弱な初心者を釣るために作られた、高額教材詐欺の作り話だ。
そしてわたしもつられてしまったうちの一人なんだが。
はっきり言っていまはそいつらのことは糞やろう!!と思う。しかし、それとは別にネットビジネスの本質を考えると、やはり可能性がある。
だから、夢見るのは勝手だから。私自身は自分で実力をつけて、そうなりたいと思っている。
パソコンが普通に使えるなんて別に大したことじゃない、ってかできないと困るだろうという当たり前のスキルでしか無いとわかっていても。
そんな当たり前のことができるようになるまで多大な時間を費やさなくてはならなかった無能な自分ではあっても。
そのうち自分ならできるはずだ、と根拠もなく思っている。

タミイ静止画1

まあ相当馬鹿ってことだね

根拠なき自信ってのは結構ある。
心理学的には自己肯定感self esteemって言うんだそうだが。

 


ただ実際のとこ。ネットビジネスに関してはさんざん儲け話とか聞いたけど。違和感バリバリだった。自分にネット世界の感覚がないことは自覚していたんで、そういうこともありなんだろうか?と思ったこともあったが。
数年勉強してわかったことは結局は多くの人たちに役に立つこと、恩恵を与えるこそがビジネスをする上では全て!ということだった。
ミラーサイトを作ってリンクを飛ばすとか、グーグルのアルゴリズムの不備を突く様々な裏技とか。
アクセスを集めるためのキーワード選定とか。検索頻度急上昇のみんなが興味がありそうな話を見つけて記事にするとか。購買を決断させるためにステップを踏んでいく感情マーケティングを使うとか。
そういうことはできないかもしれない。てか出来てもそういうことだけをやりたくはないが。
自分のフィルターを通した上で、人に役に立つかもしれない情報を提供し続けていく。それだったら私にもできるだろう。

それに無知な私が知らなかったことなどは皆さんが知っていることばかりかもしれないが。少なくても知らなかった人間が一人は(私のことだが)確実にいるということは確かなことだ。
もし仮にある情報について私と同じぐらいの知識しかない人がいたら、そんな人達の役に立てるかもしれないし、そうなったら嬉しい。
最近はそういうことの積み重ねの中でネットビジネスを極めていきたい。と思うようになった。

吉田兼好の厚かましい生き方に学ぶ

そう思ってから私が最初に本格的に取り組んでいるのがこの勃起サイトである。
自分の勃起力を高めたいという非常に低い志でサプリや薬の情報を提供するサイトを作ることに決めたんだが。

50過ぎてから勃起サイトとはあまりにもはずかしいんじゃないかと飲み友達に言われたことがある。
でも私は面目丸つぶれの恥をかくことには慣れている。

後世に残る古典徒然草を書いた吉田兼好は「命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。」とに書いておきながら当の本人は当時の平均寿命の倍以上だったと思われる70歳ぐらいまで恥を晒して、生きていたのであった。

人には40前に死ねと説教をたれながら自分は70まで生きるという。この事実だけで、吉田兼好がどんなクソ野郎かわかろうというものだ。
かっこいいことを書きながら彼は自分が長生きしちまったことで赤っ恥をかいたんである。
彼は辱多き人生をあさましく送って、しれっとして死んでいった。

私がやってることは(比較するのもおこがましいが)そんな吉田兼好よりはマシだろう。と思えば、勃起サイト作りも恥ずかしくない。
でも・・・・・吉田兼好って面白いやつだよなって思う!ポリティカル・コレクトネスとかなんとか実質的な言葉狩りがなかった時代なんで、人を小馬鹿にするきわどい表現もあるしユーモアもある。
古典と思うからつい襟を正して読んでしまっているが。よくよく読むとはっきり言っておもしれえええええ!!
ポリコレとかコンプライアンスとか横文字使って自己正当化したり人を攻撃するような薄っぺらいやつよりはずっと味わいがある。
何百年という歳月に洗われてもなお残っているのは綺麗事を書いていないからだろう。

見習いたいものだと私は思う。


サプリの話は面白い

サイトを作りはじめてすぐに。サプリや薬のことについて書くべきこと(書きたいこと)がたくさん出てきた。
つまりはサプリを深めれば人生というものもまた見えてくる、と思える様になった。
もちろん人気がある成分の効能を調べたりするのも楽しい。
それは思いの外面白く、新しい発見が必ず毎日ある。

それなのでもうすぐトップページを作り変える時期に来ているんだが。
勃起関連をメインにすることには変わりがなくてももっと健康全般を扱おうと思うし。

性と死の問題についても切り込んでみたい。
あとは自分が驚くようなことかな。

何度か書いているがわたしが最も驚いたのが前立腺肥大の薬の研究から本当に毛が生える薬が開発されてしまったこと。

前立腺肥大とハゲと高血圧と勃起の関係は悩ましい!絡み合って展開するハゲ(男性型脱毛症(AGA))へのハゲまし!

☆ 豆知識 ☆
デュタステリドが男性型脱毛症治療薬として2015年9月に承認されました!

2015年9月28日に、男性型脱毛症治療薬デュタステリド(商品名:ザガーロカプセル)の製造販売が承認されました。
日本国内において、男性型脱毛症治療薬としてはフィナステリド(商品名:プロペシア)に次いで2番目の経口薬です。

デュタステリドは、商品名:アボルブカプセルが、前立腺肥大症治療薬として2009年7月から承認されておりましたが、今回、別薬剤として新たに臨床試験を行い、有効性および安全性が確認されたため、男性型脱毛症治療薬として承認されるに至りました。

デュタステリドは、5α-還元酵素のⅠ型とⅡ型の両方を阻害する作用があるため、Ⅰ型のみ阻害するフィナステリドよりも高いDHT(ジヒドロテストステロン)生成抑制効果を示します。

また、デュタステリドの承認された適応症は「男性における男性型脱毛症」です。
既存のフィナステリド(商品名:プロペシア)の適応症である「男性における男性型脱毛症の進行遅延」と比較して、“進行遅延”の表記が外れており、進行を遅延するのみならず発毛を期待させる内容となっています。

※デュタステリドは服用開始後12週間で改善がみられる場合もありますが、治療効果を確認するには通常6ヶ月間の服用が必要となります。

デュプロストは、有効成分であるデュタステリドを含有するアボルブのジェネリック医薬品です。デュタステリドは、日本国内で承認されているザガーロカプセルとも同一の有効成分です。

デュプロストは、男性ホルモンの働きを抑えて、肥大した前立腺を小さくし、尿の排泄を促したり、頻尿、残尿感などの症状を改善したりする薬です。また、男性型脱毛症(AGA)にも効果を発揮します。

デュプロストに含有されている有効成分・デュタステリドは、テストステロンからDHT(ジヒドロテストステロン)に変換する酵素である5α還元酵素の働きを抑えることにより、血中や前立腺組織中のDHTの濃度を低下させます。肥大した前立腺を小さくし、尿の排泄を促したり、頻尿、残尿感などの症状を改善したりします。男性型脱毛症(AGA)の発現にはDHTが関与していると考えられているため、デュタステリドは男性型脱毛症(AGA)の治療にも有効です。

5α還元酵素のⅠ型のみを阻害するフィナステリドに対して、デュタステリドはⅠ型とⅡ型の両方を阻害します。加えて、血中のテストステロンを低下させないため、性機能障害の副作用が少ない薬剤と考えられています。

1箱   5,457円 ($48.20)
2箱   9,805円 ($86.60)
3箱   13,881円

バイアグラが心臓の薬として開発するつもりが勃起薬になるとか。ビタミンB 類を飲むと肩こりや眼精疲労が治っちまうとか。
すマドラを服用するとたしかに記憶力が良くなるとか。情報にお泥lkうこともあるし、実際にそれを試してみて驚かされうこともある。他にも驚くようなことは毎日ある。
書くからにはそういう元を書きたい。

などとは思わない。
今は昔と比べてある程度年齢がいっても若く要られる可能性がある。
また、ひょっとしてサプリの力を借りればより健康なまま100歳以上長生きをすることはできるんじゃないか?と思うようになった。
私は無常観の持ち主だけど。無常観は自分の生を充実して生きるための思想だ。非常に肯定的な世界観を持っている。
だからできるだけ長生きしたいと思うのには何の矛盾もない。

吉田兼好みたいに

命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ

とは思わないのである。

現代科学の進歩によって100歳まで呆けずにエッチできたり若々しく生きられる可能性があるのが今の時代ならば。
その知識を十分に活用してみたいものである。
そしてよく言われるピンピンコロリの往生を遂げたいものである。

ということで適当なことを書き散らして、随筆みたいになってしまったが。
今回はここまで。