まりちゃんギャラリー2 写真を追加。

フィリピン人は自画撮りが大好き。

まあフィリピン人だけじゃないのかもしれませんが。
会っていない日は数日に一度は写真を送ってきます。

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マリちゃんについて(ギャラリーページ1)モテたいならばフィリピンへGO!

ちなみに日本とフィリピンが一番近い外国の一つだってことを気づいていない人が多いです。
ストーカーまがいの朝鮮や支那ばかりが隣国だと思うとうっとおしいですが。

フィリピンは日本に一番近い国の一つ

フィリピンは日本から最も近い東南アジアの国で、飛行機でマニラやセブまで4~5時間。
東京からフィリピンのマニラまでの直線距離は、2995 km。

 

北海道網走から沖縄の那覇までは2477.948 km!約2500キロですから。
日本の端から端まで行くのとそんなに変わらないです。時差は1時間でしかありません。

 

 

歴史的なつながりも深い国フィリピン

だから歴史的に言っても日本・フィリピン両国の間は実に長く深い交流がありました。

フィリピンはアジアにおけるキリスト教布教と奴隷貿易麻薬貿易の一大拠点でした。
日本に初めて布教に訪れた有名なフランシスコ・ザビエルはインドのゴアや今のマレーシアのマラッカを中心に布教していて、

1548年11月にゴアで宣教監督となったザビエルは、翌1549年4月15日、イエズス会士コスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、マヌエルという中国人、アマドールというインド人、ゴアで洗礼を受けたばかりのヤジロウら3人の日本人とともにジャンク船でゴアを出発、日本を目指した(ウィキ)

ザビエル以後宣教師たちが日本でキリスト教を布教し始めますが。その中心拠点はインドではなくて、マニラでした。

ときは戦国時代。
九州の大名は鉄砲に使う火薬を手に入れるために国内の女性を海外に奴隷として売りました。
当時ペルーでしか採掘できなかった火薬の原材料を購入するための対価が日本女性でした。

その手引をしたのも当時のキリスト教の宣教師たちです。
彼らは奴隷商人でもあり、麻薬の伝道師だったんです。
中国を徹底的に破壊したアヘンは日本人はたまたま潔癖だったんで浸透しなかったため、救われましたが、多くの日本女性が火薬と引き換えに奴隷として世界中に送り込まれたんです。

 

宣教師は”羊の皮をかぶった狼”だった。

 

タミイ静止画1

古すぎるんですけど。ピンクレディーなんて名前しか知らないわ

キリスト教はあくまでも植民地支配を効率的に行うための精神支配の道具であり隠れ蓑だったんです。
わたしの中にそういう認識があるからだからかどうか。

フィリピンに行って幾つもの教会を回りましたが、すべての教会が殺伐としていると感じました。
フイリピン最古の教会と言われるサン・オウガスチン教会。
1600年頃建設されたということなんで、日本では関ヶ原の戦いの頃。フィリピンにある石造建築の中でも最も古い教会のひとつで世界遺産にも登録されています。
人気スポットの一つと言われていますが、拝観料を払って中に入ると、非常に暗く、まさに魂を閉じ込める牢獄の役割を果たしたキリスト教の正体を見る思いがしました。

タミイ静止画1

思い込みが強すぎるだろうが!!素敵な場所だったよ、マニラ大聖堂よりも明るい感じ(*^^)v

この教会にまりちゃんの案内で行ったときのこと。
暗い教会から出てくると、広場によれよれのおばあちゃんがいて、物乞いに寄ってきました。
その後ろには若い女性が地べたに座り込んで、赤ちゃんを抱いていましたが。
両方共やせ細っていて、今にも死にそうに見えました。

そして、娘や孫のために物乞いに寄ってきたおばあちゃんが手を広げると、なぜか手のひらが真っ黒で。
なんで?とショックを受けました。

私は100ペソ(230円程度)の紙幣を財布から取り出してその黒い手に握らせましたが、ここは歴史と伝統と権威ある教会の真ん前。
今にも行き倒れになりそうな彼らに対し、いつも神の慈悲と恩寵を熱く語っていた熱心なカトリック教徒たちが完全に無視しているのはなんで?

と思わずにはいられませんでした。
当然マリちゃんも無視。

キリスト教は魂を閉じ込めるために作られた精神の牢獄である、と言ったデービッド・アイクの言葉を思わずに入られませんでした。

マリちゃん静止画1

陰謀論にかぶれすぎよ、ガッチャンは

マリちゃん静止画1

神は愛に満ちているわ 神に祈ると私はいつもそのことを感じるの

 

 

はあああああああ?

私はキリスト教徒にはなれないな!愛を語りながら乞食の親子を見殺しにして平気な宗教は偽善だろ!!
と心のなかで思ったんですが、もちろんマリちゃんに本心を言うことはありません。
フィリピンの人達の心に根付いたキリスト教というは神の愛を説くとともに、異教徒たちの皆殺しを要求する。

結構あからさまなものなんです。

でもフィリピン人の多くがそれを信じているっからといって。
それは改宗か死か。二者選択を迫った結果。キリスト教徒だけが生き残ったということなんで。

スペイン人と悪魔のイエズス会が悪いのです。

戦国時代末期から鎖国まで盛んだった人的交流

戦国時代からフィリピンとは様々な交流があり、日本から多くの人たちが移り住みました。
16世紀末の豊臣時代には、スペイン領フィリピンとの朱印船貿易が行われ、たくさんの日本町が作られました。

その後外国勢力の侵略を見抜いた豊臣秀吉以来禁教令が出されてキリシタンが追放されると。
多くのキリシタンがフィリピンに逃げ込みます。

フィリピンに亡命した中でも特に有名なのはキリシタン大名の高山右近です。
マニラには高山右近の像がありますが、それをみてもフィリピンと日本の親密の度合いがわかります。

                             マニラにある高山右近像

また関が原の戦いに負けた西軍の武士たち日本国内だけではなくフィリピンにも渡ったのでした。
彼らを匿う勢力がフィリピンに根を張っていましたから、それを頼ったんです。

徳川時代になってからも幕府を倒そうとする勢力はマニラやセブ近郊で兵を養っていました。
キリスト教徒が島原の乱を起こし、日本からの独立を画策したのも、マニラからの援軍を当てにしたものだということです。当然フィリピンからは細かな指令が来ていたわけで、日本国内の戦いだとはいえ、日本とフィリピンは密接な関係があったんです。

江戸時代以降、日本の鎖国により交易は衰え、フィリピンとの交流は途絶えます。
でも現地に残った多数の日本人の遺伝子はフィリピン国内にばらまかれ、今に至っています。

もしかしたらマリちゃんにも日本人の血が混じっているかもしれませんねえ(^^ゞ

ギャラリー2マリちゃんの日常

 

 

おまけはセブのマルコポーロホテルの前で撮ったツーショット。
あのときは楽しかったなあ。