葬儀について
田舎から帰ってきてはじめて更新した記事はこちら。
今回父の葬儀をやってみて改めて思ったがお葬式は価値ある儀式だ。
私は様々な儀式を踏むことによって大切な肉親と別れる悲しみを受け入れることが出来た。
特に通夜というのは一日中夜を徹して線香を絶やさず別れを惜しむわけだが。
良いものだなあと思った。
これは日本独特のものらしい。
まりちゃんに「通夜」について説明するのはやはり大変だった。
On the day before the funeral, family and relatives hold ceremony called “Tsuya” which they spend the last time with the person who passed away while keeping light on the candle and incense throughout the night,
都会では半通夜と言って数時間に短縮する用になって言うらしいが。
これならばフィリピンでもやるらしい。
でも数日間もやることはないという。
田舎のこととて。
通夜は延べ3日間に及んだ。

ただしそのやり方は地域によっても、またその地域の中でもそれぞれ違う。
私が一番ビックリしたのは火葬してから葬儀をするということ。
首都圏のお葬式には何回か行っていたので、葬儀をしてから火葬というのが普通だと思っていた。
ただ私の田舎では葬式に至るまでに一週間近くかけるからそれもやむを得ないことだとおもう。
私は喪主だったんだが、それでやったことを簡単に書いておきたい。
勃起サイトに書いても読みたい方は少ないと思うがあしからず。
父が亡くなった日。
最初に家で祭壇を作って、家族だけで通夜をした。
そして葬儀屋を呼んでお葬式について打ち合わせ。
地元のことを知らないので、地元に住んでいる同級生や親戚も来てもらい同席をしてもらった。
その結果まず。
葬儀社の持っている通夜会館というところに遺体を写すことにした。
ここは自宅の代わりにお悔やみで訪れた方々の接待をする場所。
翌日移動して遺体を安置。
遺体を見に来る人のためにまた一日そこでお通夜。
親戚もたくさん集まって賑やかだった。
それから翌日儀式を行いお坊さんにお経を読んでいただきてから出棺。
霊柩車で火葬場に行く。
そこでもう一度お坊さんにお経をあげてもらってその後出席してくださった方に私の方からお礼の言葉。
遺骨が焼き上がるまで火葬場に来た人に食事を出す。
焼き上がったら今度は遺骨を骨箱に収める儀式。
自分もそのうち同じく消えてしまうのだとの思いが胸に刺さった。
通夜会館に戻って骨箱を安置。
おくやみに来る人達の接客。
通夜会館にいる間はお線香を絶やさないように泊まり込み。
遺骨の状態で2日間通夜。
一日空けて翌々日にお坊さんに来ていただき読経の後遺骨をお寺に運び本葬儀。
葬儀の前には行列を作って遺骨や位牌を持ち練り歩く。
地元の方が協力をしてくださる。
いまでもこのような儀式が行われていることにびっくり。
葬儀ではお坊さんの読経弔事贈る言葉。
焼香そして私の挨拶。
お寺の本堂で行われる葬儀は荘厳だった。
会館などで行われるものよりも良いなあと感じた。
葬儀の後は参列された方々に外で花を渡して感謝の意を示した。
その後親族はマイクロバスで移動して会食。
夜はお念仏と言って近所の人達だけ集まって浄土真宗の読経。
これはお寺は曹洞宗だが、民間では浄土真宗が主流なんで、この様に二重に葬儀が行われるのである。
そして翌日遺骨を家に安置。
これで葬儀は終了。
とはいえ私はその後のこともあってその後3日間お墓のことを決めたりして家で相談。
その間親戚や近所の人達が来れば挨拶と父のお思い出話。
こういうのがお盆までずっと続く。
知らなかったという人が無いように新聞に死亡広告で知らせたんだけど。
それでもあとから知ったという人が来る。
でも同級生もたくさん来てくれたし。
近所の人達も親身になって手伝ってくれたし。
親戚もたくさん集まってくれて良かった。
人がひとり死ぬってのは大変なことだ。
また表面にはなかなか現れてこないが日本人の心の底に眠っている強固な精神文化がこういったときに現れる。
画像はお寺まで来た行列が縁を回るところ。
3回まわってから本堂に遺骨を置き、そこかエアはじめてお葬式が始まる。
私の父の思い出
父の葬儀で参列された方にも主として話したもののうち父との思い出について一つ書いておきたい。
お寺で葬儀があった時。
そのお寺に父と一緒にでかけたことを思い出し、まずその話をした。
どういう話かと言うと。
それは元旦に行われる坐禅会に行った話で、大晦日深夜11時ぐらいから夜中の3時ぐらいまで行われるもので。
父親はそのお寺の檀家として割と中心的な立場で働いていた。
その関係で私も一緒に出かけていったのであった。
その場所が葬儀が行われているのと同じ場所であった。
なかなか趣深い集まりで、印象深かったが。
その中で既に亡くなられている先代のおしょうさんの講話が印象的だった。
俺が俺がの我を捨てておかげおかげの偈で生きよ
というもので、どちらかと言うと人生の生き方について語られたものだったが。
仏教の直感智で捉えた真実はそれはそれは深いものであって。
本当は科学的である。
般若心経には全ては空である。
とあって現代では人の体を形作る物質は数ヶ月でほとんど入れ替わるということがわかっている。
つまり人の体ですら実体はないのである。
実態がないのに「ある」というその有り様を色即是空と言語化したのであった。
私はおしょうさんの話を聞きながらドーキンスの利己遺伝子の話を思い出していた。
肉体は遺伝子の乗り物であるという説は今や非常な説得力を持っている。
それで。
自然の摂理ではすべてのものは儚く消え去ってしまうのもであるが、生命というのはその摂理に反して成長して行く。
しかし最後は力尽きで死んでいくわけだが。
それでもその摂理に逆らって永遠の生命を生きようという意志が遺伝子として結実したのである。
私達は遺伝子の形でこの世の中に長く生き続けるのである。
自分が生きているときには遺伝子の意を受けて父なら父の意志で主体的に生きているわけだが。
しかし実は父親は私にも半分入っていて。
主体的に生きているわけじゃないけれども私に影響を与えている。
そして孫やひ孫ができることによって父や私の血が絶えるときまでずっとこの世の中に生き続ける。
おしょうさんが語ってくれた「俺が俺がの我を捨てる」というのは人生訓としては良さげだけれども、俺が俺がと言えるのは生きている間だけ。
死んでしまった場合、それでも父や私は遺伝子として生き続けるが。
ただし意識の当事者にはならず、孫やひ孫、子孫の中に生き続けるのであるから。
そのときにはおかげおかげの偈で生きてもいいけれども。
生きている間ぐらい我を通すのが正しい生き方じゃないのか、などとそのときに父と話したことを突然思い出したのである。
それで予め考えていたことと全く違う話をしてしまった。
そして今思うんだが。
遺伝子で生き続けるということは子孫がいなくては始まらない。
昔の人が自分の子供に子供を産むことが親孝行だよというのは真実だったんである。
孫が生まれることは自分がそれだけ長く生き続けることになるからだ。
前の記事でセックスとしはつながりがあるというのはそういうことである。
子孫を残すためにはちんぽも健全でなくてはならない。
その真理を悟るためにも「利己的な遺伝子」という本は必読である。
今見たらなんと改訂版が出たとのこと。
ますますおすすめである。
ドーキンスによる「40周年記念版へのあとがき」が
新たに収録された、世界的ベストセラーの最新版
「英国史上最も影響力のある科学書」 第1位
私たちはなぜ、生き延びようと必死になり、なぜ恋をし、なぜ争うのか?――
本書で著者は、動物や人間の社会で見られる、親子間の対立や保護行為、夫婦間の争い、
攻撃やなわばり行動などがなぜ進化したかを、遺伝子の視点から解き明かす。
自らのコピーを増やすことを最優先とする遺伝子は、いかに生物を操るのか?
生物観を根底から揺るがす衝撃の事実を快刀乱麻の筆致で鮮やかに描き出すことに成功した本書は、
1976年の刊行以来、分野を超えて多大な影響を及ぼし続けている古典的名著である。
* * *
『利己的な遺伝子』は世界を一変させた本である。
正確に言うと、世界に対するぼくたちの見方を一変させた本だ。
それは、まさに科学革命と呼ぶのにふさわしい。
この一冊の書物によって、温かくて親しみやすい生物の世界は、
ドライでクールなデジタル情報の世界に変換された。
これを読まずして、
生物やゲノムや脳科学やAIやロボットや社会や経済について、
語ることはできない。
――佐倉統(東京大学大学院情報学環・教授)
* * *
【前の版からの変更点】
・ドーキンスによる「40周年記念版へのあとがき」追加
・岸由二による「40周年記念版への訳者あとがき」追加
・古くなった表現、表記を変更
・装幀と本文レイアウトを刷新
内容(「BOOK」データベースより)
私たちはなぜ、生き延びようと必死になり、恋をし、争うのか?本書で著者は、動物や人間の社会で見られる、親子間の対立や保護行為、夫婦間の争い、攻撃やなわばり行動などがなぜ進化したかを、遺伝子の視点から解き明かす。自らのコピーを増やすことを最優先にする遺伝子は、いかに生物を操るのか?生物観を根底から揺るがし、科学の世界に地殻変動をもたらした本書は、1976年の初版刊行以来、分野を超えて多大な影響を及ぼし続けている古典的名著である。

難しそうね

そんなこと無いよ、是非読んでみて
死ぬまで健康でいるために
日本人の寿命なんだが。
私の祖母は70歳で亡くなったが、当時としては長寿であった。
だが父親も母親も90歳まで生きている。そして父は亡くなった。
私の田舎では90歳以上の人たちはたくさんいる。
日本が平和であったということも大きいと思うが。
食生活の向上も大きいとおもう。
また医療技術の進歩はめざましくて。
父や母も何回か手術をしているが。
数十年前の手術と最近に手術では全くレベルが違う。
フィリピンの平均寿命は60代なんだが。
行くと大都会では老人はあまり見かけない。
聴くと厳しい自然環境の中を生き抜けないということで。
歳を取るまで生きていられないんだとか。
平均寿命が60代でもこれは現在生きている人たちが今後どれぐらい生きるかということで計算しているので。
実際の60代はかなり少ないとおもう。
ただし田舎にに行けばそれなりに老人はいた。
それでも人生の黄昏時を平穏に生きていくのは厳しいようである。
マリちゃんのおじいさんは80歳代で亡くなったんだが。
かなり長寿だと言われていた。
日本で80歳と言ってもまあそこそこいるわけなんで。
老後に住むのは日本のほうが良さそうである。
マレーシアやインドネシアで老後を過ごすことが流行っていたが。
物価が安いとか温かいとか言っても異国で生活するのは大変だし。
バリ島で殺された老人夫婦がいたけれども。
日本では信じられないぐらい危険がいっぱいだ。
あと問題は食事。
東南アジアの食事は味付けが濃い。
母親は父親といるときには3食とも玄米ご飯と黒豆とヨーグルト。それに少々の野菜や魚などを食べている。
取り立てて特別な食事とも言えないが。
田舎なので空気もよいし、食べ物は新鮮で全て美味しい。
また母親とずっと一緒にいたのではじめてサプリの話をしたんだが。
彼女も多種類のサプリを愛用していることがわかった。
というのもやはり歳を取ると自分の体では作られないものが多くなって外から取り入れなくてはならなくなるからだ。
ただ私から見るとサプリの選び方には異論もあったんだが。
勿論私が意見を言うわけもない。
母は母なりに自分にあったものを選んでいるわけだし。
いずれ本当に効果があるサプリは40過ぎたら摂り始める必要がある。
現在は長寿になるために必要なものを計測する方法がある。
私は以下の記事で紹介をした本に書かれていることは重要だと思っている。
内容紹介
ノーベル賞学者が直伝! アンチエイジングの新常識「テロメア」とは染色体の先端部分を指し、寿命を司り、加齢とともに短くなることがわかっている。しかし最新の科学によれば、生活習慣しだいでテロメアを伸ばし、健康寿命を延ばすことができるという! テロメアでノーベル医学生理学賞を受賞した著者自らがその仕組みを解説するとともに、健康長寿に効く運動、食事、睡眠、ストレス対処法を伝授。テロメアの自己診断テストや今日からできる実践プログラム付き。世界20か国で続々刊行の大注目書!
⦿海外レビュー
著者らが発見したのは、テロメアが遺伝子の指示をただ実行するわけではないことだ。テロメアはあなたが発した指示を吸収する。あなたがストレスを感じているか、リラックスしているか、悲しんでいるか、幸せかにテロメアは反応し、それが脳の状態や気分、老化の速度などに影響をおよぼす。つまり老化のあり方は、いちばんおおもとの細胞レベルから変えることができるのだ。本書はここ10年に刊行された生物学の本の中で、もっとも興奮させられた1冊だ。
―――エリック・カンデル(ノーベル医学生理学賞受賞、『記憶のしくみ』著者)
健康については、社会的要因や心理面を強調する人もいれば、食事や運動によるアプローチを重視する人もいる。だが、これらの要因は健康や長寿にどのように結びつき、生物学的にはどう一貫した説明ができるのだろうか? 著者たちが本書で鮮やかに示したように、テロメアの長さこそがその統一的なしくみを教えてくれる。
―――マイケル・マーモット(世界医師会会長)
ブラックバーンとエペルの“ドリームチーム”が、大量の複雑な科学データを非常に読みやすく、すべての人に役立つ“ハウツー・マニュアル”に落とし込んでくれた。本書は健康を改善したい私たち全員への素晴らしい贈り物だ。
―――リタ・エフロス(カリフォルニア大学ロサンゼルス校デヴィッド・ゲフィン医科大学院教授)
原著の内容説明は以下(グーグル翻訳)
特定の生活習慣や心理的習慣がどのようにテロメアを保護し、病気を遅らせ、人生を改善するかについて独自の研究を行った健康心理学者、および老化過程でテロメラーゼとテロメアの役割を発見したノーベル賞受賞者の共著のニューヨークタイムズベストセラー本。
なぜ60歳の若者が40歳のように見える、そして感じるのか、そして40歳の若者が60歳のように見えて感じるのはなぜですか?エリザベス・ブラックバーン博士は、多くの要因が老化や病気の原因となっていますが、テロメラーゼと呼ばれる生物学的指標を発見しました。テロメラーゼはテロメアを補充し、遺伝的遺産を保護します。 Blackburn博士とElissa Epel博士の研究は、テロメアの長さと健康が、長期に仮定された心身のつながりの生物学的根拠であることを示しています。彼らや他の科学者たちは、日々の習慣に加えることができる変化が、テロメアを保護し、健康を持続させることができることを発見しました。
TELEMERE EFFECTは、睡眠の質、運動、食事の側面、さらには特定の化学物質までがテロメアに深く影響すること、そして慢性的なストレス、否定的な思考、緊張した関係など、BlackburnとEpelの調査結果がどのように世界中の同僚の研究、間違った地域でさえそれらを食べることができます。
この科学的知識体系を基にして、彼らは食品のリストを共有し、テロメアにとって健康な量と種類の運動、ストレスから身を守るための心のテクニック、短いテロメア、妊娠から思春期まで。そして、彼らは、信頼レベル、緑地、安全な街並みを特徴とする地域と、コミュニティレベルでの健康状態をどのように改善できるかを記述しています。
TELOMERE EFFECTはあなたの人生を日常的にどのように再評価するかを示します。これは、私たちが細胞レベルで年齢をどのようにしているのか、そして染色体と細胞を健康に保つために簡単な変更を加える方法を説明し、私たちが無病で長く滞在し、より重要で有意義な生活を送ることを説明する最初の本です。手を加えていないんでおかしな日本語になっているが意味はとれると思う。
テロメアの長さで客観的に測れる健康法の効果 寿命の回数券テロメアを伸ばす=寿命を延ばす方法は意外にも既存の健康法の中にあった
また抗酸化成分を上手に摂ることも必要だ。
それとぼけたんではしょうがないんで。
スマドラも重要だ。
私の父親はなくなるまで意識がはっきりしていた。
確かに亡くなる数年前には脳梗塞を患ったが、意識がはっきりしたまま。
亡くなった日には水が飲みたいと言って水を飲み、母親と握手をし、そして数分後に絶命した。
安らかな死に顔だった。
意識があるというのは重要なことだ。
母親に聴いたらボケ防止のスマドラは病院に行けば処方してくれるとのこと。
だからかなりの歳になれば呆けに対する薬を処方してくれることは間違いないようなんだが。
積極的に脳を活性化させるとか呆けないように今から対処するという場合病院でスマドラを処方してくれない。
これも今から考えておいたほうがいいとおもう。
いわゆるスマドラでなくても銀杏の葉エキスやバコバ、マグネシウムなどの天然素材を摂取することででかなりケアができる。
それとコリンを補給するか分解されないようにするかしてコリン濃度を高めるか。
それとわたしもピンピンコロリでいきたい。
父親は丈夫な人だったが、最後の6年程は歩けなくなってしまったし、脳梗塞を患ってからは半身が不自由になった。
脳梗塞や脳溢血に対する備えも大切だ。
一方散歩をしたり、体操をするなど今まであった健康法を取り入れ日常的に体を動かすことも必要だ。
今から老後の準備をする必要があると感じた。
最近ラジオ体操をはじめた。
確かにヨガとかストレッチは効果があるとは思うが。
ラジオ体操は必要な運動要素を数分にまとめており、短い時間でできるし、気合を入れる必要もない。
かなりのスグレモノであると思った。
健康であるからこそSEXも充実するのである。
父親の死でさまざまなことを考えさせられたが。
死ぬのは確実だとしても死ぬまでは元気で生きていきたい。
そういうことを意識せずにこのサイトの記事を書いてきたが。
今あらためてこの様に調べてきたことの価値を感じている。
次回からまた本来のサプリの話を書いていこうとおもう。
私自身の役に立てることを見つけていくことでみなさんのお役に立てるよう、今後とも頑張りたい。